エントロピーをめぐる冒険

エントロピーをめぐる冒険

著者 鈴木 炎(すずき・ほのお)

初心者のための統計熱力学

まえがき

 いまどき、「エントロピー」を知らぬ者はいない。試みにAmazonを検索してみよう。大量の書籍とともに、J-POPのCDのタイトルが何枚もヒットする。それに加えて、抽象画や、傘やゴルフバッグ、果てはアニメのトレーディングカードまでが見つかるはずだ。
 21世紀の今日、われわれの大多数はエントロピーという言葉を耳にしたことがあるし、その意味も、何とはなしに理解している。少なくとも、そう思っている。
 その知識は、どこから来たのだろう。初めてエントロピーという響きを耳にしたのはいつだったか、憶えているだろうか。若い読者にとって、それは、ひょっとすると、中学の理科室で、気さくな先生が「教科書にはまだ出てこないんだけどね……」と、世界の神秘を解き明かす呪文ででもあるかのように、こっそり耳打ちしてくれた一言だったかもしれない。年配の読者の場合には、エネルギー問題や地球環境の危機について警鐘を鳴らすエコロジー記事の一節、そこに突如立ち現れた、何やら難解にして深刻な、カタカナ用語だったかもしれない。
 では、エントロピーとは何だろうか?
 馴染みのあるカタカナ言葉の意味を問われて、はたと困惑するのはよくあることだ。説明できないけれど、実はちゃんと理解できている概念も多い。エントロピーについては、このあと本書で長々と解説することになるから、ここではもうひとつの言葉―同じく熱力学で中心的な概念―「エネルギー」について読者に問うてみよう。
 エネルギーとは何だろうか?
 あらためて問われると答えにくいという点では同じだが、エネルギーといわれたほうが、エントロピーよりは身近に感じられるだろう。何やら大事なもの。貴重な資源。人類のためになるもの。電気。石油。原子力。太陽光。風力。仕事をしてくれるもの。「エネルギー保存の法則」っていうくらいだから、保存されるもの。省エネ。枯渇問題。だが、こんなふうに考えたことがあるだろうか。
「省エネは不可能だ。エネルギーは枯渇しない!」
 なぜなら、エネルギーは保存されるからだ。人間が何をどう頑張っても、物理学的エネルギーの総量は一定である。増えもしなければ減りもしない。保存されるものを「節約」することはできない。当然、「枯渇」もしない。一定だからだ。
 あなたはこう反論するかもしれない。世の中に流通するお金も、総量は(ほぼ)一定だけど、節約はできるよ、と。そのとおりだ。だが、その場合には「私の財布の中のお金が他人の財布に移動するのを、断固として阻止する」という生活防衛的な意図がはたらいている。しかしエネルギー問題においては、「私の電気代を節約する」という個人の知恵に加えて、どこかしら、人類全体の未来に対する悲観的、終末論的な響き―「覆水盆に返らず」「無駄に浪費」「取り返しがつかない」といった―〈不可逆性〉がつきまとう。
 世界は不可逆だ。浪費を取り戻すことはできない。だから節約しなくちゃ。こうした感覚は、物理学的にもまったく正しい。だが、それをつかさどるのは、実は「エネルギー」ではない。燃料を浪費しても、各種エネルギーは熱エネルギーに形を変えるだけで、減りはしないのだ。〈不可逆〉を支配するものこそが、エントロピーである。だから「省エネ」を叫ぶとき、われわれがそれと気づかず語っているのは、本当はエネルギーではなく〈エントロピー〉のことなのだ。
 では、あらためて聞こう。エントロピーとは何だろうか?
「乱雑さ」「でたらめになること」という説明を聞いたことがあるかもしれない。これもまた正しい。正しいのであるが、もしそれだけのことであれば、その解説に何十冊もの本が書かれる必要はあるまい。一方、別の本には「きわめて深く難解な概念である」「それを真に理解できる人間は数少ない」などと書いてあって、びびる。どっちが本当なんだろう。〈エントロピー〉なる言葉に漂うエキゾティックな魔力、そこはかとない神秘の響きは、どこからくるのだろうか。
 実は、エントロピーの異様さは、その神秘性や見かけの難解さにあるのではない。まったく逆に、その〈単純さ〉にあるのだ。
 ありえないほど単純。小学生にも即座に理解できるほど単純。単純すぎて、それが、森羅万象、世界のすべてを動かしているということが、信じられないのである。だが、それを理解した瞬間に、目もくらむような衝撃がやってくる。事実、隠されたこの真実にたどり着くため、人類は幾世代もの天才たちを必要とした。彼らは国境と世紀を越えて〈エントロピー〉の聖なる火を運び続けたのである。
 本書の意図のひとつは、この巨大な概念がどのように発見され成熟していったか、その歴史を、人間ドラマとして再現してみたいということにあった。いざ書いてみると、ちょっとした「エントロピー・ツアー」へご招待、ということになった。
 ところで、高校や大学の教科書では、往々にして、エントロピーが難解というだけでなく、無味乾燥、とっつきにくいものにも見えてしまう。その原因は、歴史的背景があまり語られないことのほかに、数式による定義や導出が煩雑すぎて本質を見失ってしまうことにもあるのではないだろうか。ホーキングによれば、一般書で許される数式の数は最大一個(!)ということだが、ブルーバックスならもうちょっと緩くてもいいだろう、というわけで、式の数は十個以内という目標も立てた(最終的にはそれをだいぶ超えてしまったが……)。
 読者としておもに想定したのは、エントロピーや熱力学についてもっと詳しく知りたいという理系の高校生である。近ごろ教科書が変わって、熱力学の部分もやや詳しくなったようだから、タイムリーかもしれない。だが、進んだ中学生や、文系の読者にも楽しんでいただけるように、歴史や社会的背景、人間的なエピソードも盛り込んだ。理系の本にはちょっと珍しい面々(ナポレオンやらツヴァイクやらリンカーンやら)にも、ご登場願うこととした。
 数式が少ないのは、理系の大学生には物足りないかもしれない。それでも「エントロピーって、そういえば何だっけ?」という方々には、復習を兼ねて役に立つのではないだろうか。かつて学んだことがあるコンセプトも、違った視点から眺めることで新鮮に感じていただければ嬉しい。一方、熱力学・統計力学のプロにとっては、だいたいもう知っていることばかりだから退屈だろう。それでも、〈通〉しか知らないような「蔵出し」エピソードも掘り起こして書き加えたので、このたびはこれでご勘弁いただきたい。
 エントロピーの理解のしかたは、ひとつではない。ブルーバックスでも、すでに熱力学・統計力学・エントロピー関連の優れた書籍が多数刊行されている。本書では、それらとは一味違った切り口で攻めてみた。本書のアプローチはかなりの読者にとって目新しく映るかもしれないが、決してオリジナルなものではない。それどころか、少なくとも物理学科の学生にとっては、久保亮五やキッテルの教科書を通じて標準的な道筋のひとつとなっている。にもかかわらず、物理学以外の分野では、学生・研究者を問わず、驚くほど知られていないのである。これを、熱力学に関心をもつすべての方々に広く紹介したい、というのが本書執筆のいまひとつの動機であった。
 さらに、以下のような、初心者が抱きがちな疑問にも明瞭に答えることをめざした。
・現代の物理化学の教科書は、どうして例外なく、古めかしい蒸気機関を持ち出すのだろうか? そんなものは、最先端の分子デバイスや生命科学と無関係ではないか?
・なぜエントロピーの定義式には、全然違う形のやつが三つもあるのか?
・「エントロピーは常に増大する」と言いながら「エントロピーは物質の状態によって定まる関数だ」とも言う。状態関数なのにどうして増大できるのか?
・「エントロピーがすべての原動力だ」と言いつつ「エントロピーとエネルギーの闘いがものごとの進む方向を決める」とも言う。どちらが正しい?
 これらの疑問にひとつでも「おや?」と引っかかりを覚える方は、ぜひ本書を読み進めてみていただきたい。
 筆者は科学史家ではないし、大学で「化学熱力学」の講義を担当しているものの、熱力学・統計力学の専門家でもない。素人のできる範囲で勘違いや誤りがないよう頑張ったが、例によって自信はない。平身低頭、読者のご指摘を待つほかない。なお、科学史における実際の展開は紆余曲折に満ちているので、本書における科学的説明は必ずしも原論文どおりではなく、ごく簡単なものに終始することをあらかじめお断りしなければならない。詳細については参考文献をご参照ください。
 数年前、ブルーバックスで翻訳をした本が望外の好評を得たおかげで、本書の刊行が可能になった。が、原稿は遅れに遅れた。講談社の山岸浩史氏には、さんざんご迷惑をおかけしたにもかかわらず、激励をいただき、あらゆる点でお世話になった。鈴木千穂子、鈴木心、イイイン・サンディ・リーの諸氏には、原稿をチェックしていただいた。みなさんに深く感謝します。本書が、エントロピー理解の一助となることを願います。

著者 鈴木 炎(すずき・ほのお)

富山大学理学部化学科准教授。専門は溶液化学・レーザー化学。理学部化学科の学生を対象とした化学熱力学、並びに経済学部の学生を対象とした一般化学の講義を担当している。翻訳書「理系のための口頭発表術―聴衆を魅了する20の原則」 (ブルーバックス)」(共訳)は、魅力的な訳文も人気を博し、ベストセラーとなっている。趣味は「有名人のお墓の写真を撮ること」。

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