『脳からみた認知症』

『脳からみた認知症』

著者 伊古田俊夫(いこた・としお)

不安を取り除き、介護の負担を軽くする

はじめに

 ある夏の日、私は特急「オホーツク」に乗って、置戸(おけと)町(北海道常呂郡)へと向かっていた。旭川をすぎると徐々に山並みが線路に迫り、ときに切り立った渓谷の狭間を列車は走る。
 遠軽(えんがる)に近づくと、緑の濃さも増して石狩や空知(そらち)とは趣が異なる風景に目を奪われた。やがて留辺蘂(るべしべ)の駅に着き、列車を降りる。雑草が生えたホームに降りたった客は、私一人であった。駅舎の待合室には、私を迎えにIさんが来てくれていたが、なぜか高齢のご婦人と一緒にベンチに座っていた。
 どこかようすがおかしい。老婦人は目も虚(うつ)ろで、そわそわキョロキョロして落ち着きがない。Iさんによれば、駅舎で私の到着を待っていたところに認知症で徘徊中のこの婦人が入って来たので、駅員さんと一緒に保護したところだという。幸い身元がわかったので家族には連絡ずみで、迎えが到着するのをしばらく待ってほしいとのことであった。
 一五分ほどして、認知症の婦人は家族とともに無事、自宅へと帰っていった。私は、Iさんの運転する車で置戸町に向かった。置戸町で開催された「認知症の人とともに暮らすまちづくり研修会」で講演を行った私は、つい今し方体験したばかりのエピソードから話を始めた。会場からは、ため息とも笑い声とも感じられる声が響いた。「今」という時代が認知症の人とともに暮らす時代であることを実感しながら、話を聞いていただけたようだった。
 認知症を患う人の数は、二〇一二年度に三〇〇万人を超えると発表された(二〇一二年八月)。高血圧や糖尿病の患者数ほどではないが、今後一〇年以内に四〇〇万人を超えると考えられている。年齢的には、八〇歳を超えた方々の四〜五人に一人が認知症をもっていると推定され、現代の日本社会は「認知症の人とともに暮らす社会」へと、急速に変わり始めている。
 街を歩いていると、驚くことが少なくない。
 少し前までレストランであった建物がデイサービス施設に姿を変えていたり、単身の若者向けアパートが高齢者共同住宅やサポート付き高齢者住宅に改装されていたりする。正規の介護施設だけでは介護を必要とする高齢者を収容しきれず、インフォーマルな高齢者施設が急速に増加しているからだ。
 認知症患者の増加を背景に、企業や地域の認知症啓蒙活動やボランティア育成活動も活発になっている。交番のお巡りさん、銀行員や郵便局員、スーパーやコンビニの店員さん、役所の窓口業務に従事する方々、床屋さんにお風呂屋さん、多くの人々が認知症についての知識をもたなければ、仕事がスムーズにいかない時代になっている。
 認知症ケアの問題を検討する会合で、警察署の代表者の次のような発言を聞き、お巡りさんたちの優しさに感心させられた経験もある。
「徘徊高齢者の捜索・保護の仕事は、交番業務の中で比重を増しています。私どもも、できるかぎり力になりたいと思っています。認知症の人の安否確認なども協力できますので、相談してください」
 多くの人々が認知症を理解したとき、認知症の人にとって優しい社会が生まれる―。地元自治体の認知症支援事業に取り組んできた私は、いつしかそう感じるようになっていた。

 では、認知症をどのような病気として語れば、多くの人たちにとってわかりやすくなるだろうか? そして、認知症を正しくご理解いただけるだろうか?
 加齢にともなう老人病?
 精神疾患?
 脳の病気?
 認知症という病気は当初、物忘れや日時・場所がわからなくなる症状を示すが、やがて生活上の混乱を招き、この病(やまい)独特の社会的問題を生み出していく。
「自分の置かれた状況がわからなくなる」病気である認知症には、まわりの人からみて奇妙に感じる症状も少なくない。
 吹雪の舞う景色を目にしながら、「今は夏だ」と平然と語る。永年連れ添ってきた妻を指して、「これ、俺の女房じゃない」とケロリと言ってのける。ふだんはあまり行動的でない人が、ひとたび徘徊を始めると数十キロも離れた遠方まで歩いて行ってしまう。蔵書を冷蔵庫の中にきれいに並べる一方で、汚れた下着を散らかしておく。
 このような言動をどのように理解すべきか、専門家の私でも考え込んでしまうことがある。認知症の症状には、心情的に受け容れがたいものもある。周囲の人を困惑させる言動、なかでも性的な卑猥(ひわい)さを感じさせるふるまいや、平然と他人の物を「盗む」といった行いを理解することは難しく、誤解をも招いてしまいがちだ。
 こうした症状を含む認知症の全体を、どうすれば正確にとらえることができるだろうか?
 私の体験からは、認知症を「脳の病気」―すなわち脳梗塞や脳出血、パーキンソン病などと同類の脳の病気―としてお話しすることで、多くの人々に受け入れられると感じている。脳の病気として認知症をとらえたとき、診断や治療の対象として客観的に認知症と向き合う気持ちが生まれる。認知症の症状を、孤独感や不安感、不信感や恐怖感などの心理現象としてとらえる前に、脳の働きの破綻による病気として説明する。
 このような姿勢こそが、「認知症の人とともに暮らす時代」にあって、最も求められているのではないだろうか。さらに、客観的な画像を通して「脳の病気であること」の説明ができれば、よりわかりやすく、より納得されやすくなるはずだ。
 そのような理由から、私は「脳SPECT像」と呼ばれる画像を治療の現場で積極的に活用してきた。誤解を恐れずに言えば、この脳SPECT像を用いることによって、認知症を脳梗塞や脳出血などと同じように説明することができるのである。
 認知症をテーマにした本は多数出版されているが、「認知症を脳科学的な視点から解説するもの」はまだ多くない。特に、近年進歩の著しい社会脳科学の成果を取り入れた書籍は見当たらない。第5章で詳述するが、「社会脳」とは、人間が社会生活をうまく営むために必要な脳の働きや領域のことを指す言葉であり、社会脳のしくみを研究する学問が社会脳科学である。
 類書が見当たらないなか、いつしか私は自ら企画し、原稿を書き始めていた。脳科学に基づく理論と脳画像診断法の二つを駆使して認知症を解釈すると、どのような世界がひらけるか。認知症をどこまでわかりやすく描くことができるか。認知症の新しい解釈を提示することができるか。これらを、本書前半のテーマとして挑戦してみた。
 本書が、脳科学の進歩を感じていただきながら、認知症を病気として理解する一助となれば幸いである。

 認知症は、二〇〇四年まで「痴呆(ちほう)」と呼ばれてきたが、この言葉には差別的な響きがあり、変更が望まれていた。二〇〇四年一二月、痴呆を「認知症」と改めることが発表された。二〇〇五年度は「認知症を知る一年」と位置づけられ、単なる用語改定にとどまらず、正しい認知症の理解を促すための活動(テレビ・新聞を通した啓蒙活動や市町村での講演会など)が展開された。
 認知症という言葉は、一連の活動の中で医学用語としても一般用語としても普及・定着し、認知症を「避けがたい老化現象」や「不治の病」としてみるのではなく、病気として診断や治療の対象とする考え方が社会的に広まった。
 もちろん、誰しも認知症になりたいなどとは思わない。ある程度までではあるが、現代医学は認知症の予防や薬物治療、リハビリテーションによる改善を可能にしてきている。本書の後半では、「現代社会と認知症」「現代社会と知的衰え」といった社会的テーマにも切り込みながら、認知症の早期発見や治療、予防などについて解説を試みた。特に、新薬や画像診断に関する最新情報やリハビリテーションについて詳しく取り上げている。
 また、近年増加傾向にある若い世代の知的衰えである「若年性認知症」についても、最新の状況を盛り込むよう努めた。最終章では、現代が「認知症の人とともに暮らす時代」であることに焦点を当て、「認知症サポート医」の立場から対策の現状について述べている。
 認知症の人が急速に増えた背景には、わが国が長寿社会を実現したことがある。長寿社会はすばらしい社会ではあるが、反面、新たな苦悩を私たちにもたらしてもいる。
 九〇歳になられた私の患者さんのお一人は、お会いするたびに「やることがない、毎日がつまらない」とこぼす。「自伝でも書かれたら?」と提案すると、「そんなもの二〇年前にとっくに書いた。一〇年前には改訂版も出してしまって、もう書くことなんて何もないよ」と返された。
 日本人が享受する長寿社会では、自分史の改訂版を出したあとでさえ人生が続いていく。さらに長寿社会には、親が子の衰えに苦悩し、子の死を看取(みと)る機会が増えるという側面もある。ときには、子供が先に認知症になることさえありうる時代だ。高齢な親が若年性認知症の子を介護する姿には絶句する。
 年齢の順番に死ねない社会―それが、長寿社会のもうひとつの実相である。最終章では、長寿社会ゆえに生じた新たな苦悩についても考察する。

 本書では、実際の患者さんの事例を数多く取り上げ、具体的でわかりやすい記述を心がけた。事例はすべて、私自身が診療してきた患者さんをモデルにしているが、職業や具体的エピソードなどプライバシーに関わる部分は適切に変更し、個人が特定されないよう配慮してある。
 本書中には、脳の画像としてMRI(核磁気共鳴画像法)、CT(コンピュータ断層撮影)、SPECT(単一光子放射断層撮影)の三種類が登場する。MRIとCTは脳の「形」を映し出す検査であり、SPECTは脳の「血流量」を画像化する検査である。
 形は正常でも、血流が低下したときには脳の働きは低下していることが多い(第7章1参照)。脳SPECTでは、CTやMRIではわからない変化(機能低下)を描き出すことができる。これら三種類の検査法の違いを理解したうえでお読みいただければ幸いである。
 また、同じ画像診断法に属する検査法としてPET(ポジトロン断層画像診断法)、機能的MRI(fMRI)などの方法も存在するが、いずれも認知症の検査としては健康保険の適用を受けていないため、本書では用いていないことをお断りしておく。

著者 伊古田俊夫(いこた・としお)

1949年、埼玉県生まれ。75年に北海道大学医学部卒業後、同大脳神経外科、国立循環器病センター脳神経外科を経て、84年に勤医協中央病院脳神経外科科長、2001年に同院院長に就任。2008年から同名誉院長。2007年、札幌市若年性認知症支援事業推進委員長、2009年、北海道認知症地域支援体制構築事業コーデイネーター、2010年、札幌市認知症支援事業推進委員長。日本脳神経外科学会専門医、認知症サポート医。認知症の地域支援体制づくりに取り組むかたわら、社会脳科学の立場から認知症の臨床研究を進めている。

[B1790]

脳からみた認知症

著:伊古田 俊夫

ある日突然、ネクタイが結べなくなる。妻の顔が判別できなくなる。そのとき脳で何が起こっているのか? 専門医が明かす「認知症」のすべて。

定価 : 本体900円 (税別)

ISBN : 978-4-06-257790-8

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