自分では気づかない、ココロの盲点 完全版

自分では気づかない、ココロの盲点 完全版

著者 池谷裕二(いけがや・ゆうじ)

本当の自分を知る練習問題80

はじめに

本書は、「認知バイアス」と呼ばれる脳のクセを、ドリル風に解説したものです。

 ヒトは脳の取り扱い説明書を持ち合わせていません。私たちは生まれてこのかた、見よう見まねで脳を使ってきました。だから脳の使い方は自己流です。クセがあります。

 認知バイアスとは、思考や判断のクセのことです。このクセは曲者で、しばしば奇妙で、ときに理不尽です。しかし、どんなに非合理的に見えても、たいてい何らかの利点が潜んでいます。

 実際のところ、私たちの「勘」は有益です。ほとんどの場面で、反射的に浮かんだ「直感」を信じて問題はありません。ただし、たまたま想定外の条件が揃うと、直感は珍妙な解答を導くことがあります。それが認知バイアスです。つまり、認知バイアスとは、脳が効率よく作動しようと最適化を進めた結果、副次的に生まれるバグなのです。

「目の錯覚」でたとえてみましょう。たとえば、下図の二つのイラストを比べてください。




 イラストの二人はどちらも同じ大きさです。上下の位置関係だけが異なっています。ところが、脳はそんなふうに論理的には分析しません。直感的に状況を読み解きます。

 いかがでしょう? 左の二人については、遠近を感じませんか。小さい人は遠方にいるように感じます。一方、右の二人は、まるで親子が並んで歩いているように感じます。つまり、描かれていない背景に、下図のような解釈を、想像で補っているわけです。




 これは日常的に頻繁に出くわすシーンですから、ある意味で「正しい解釈」です。長年の経験を通じて、「そう解釈しても現実的にほぼ不都合がない」ことを脳が学習しているから、自然にそう解釈するわけです。

 こうした暗黙の前提を読み解く作業は、とくに意識せずに自動で行われます。つまり「反射」です。素早く不要な選択肢を排除しておけば、余計なことに気を配る手間を省略できますから、効率よく世の中を生きられるようになります。

 一方、子供たちは経験不足から、しばしば(大人から見れば)取るに足らない些細な部分につまずきます。ですから、複雑な仕事になると、どうしても時間が掛かってしまいます。成長するにつれて人生経験が豊富になります。すると反射的解釈が正確かつ迅速になり、生きるのが楽になります。これこそが直感がもたらす最大の恩恵です。

 ただし、直感はいつでも正しいとは限りません。特殊な条件が揃うと、「勘違い」に陥ってしまうこともあります。たとえば、先のイラストは、下図のような場面もありえます。




 前後の奥行きはなく、両者は並んでいますが、上下の関係が異なるというシーンです。直感にしたがっているだけでは、この背景にはほぼ思い至りません。こうした想定外の前提が背後にある場合、認識と事実にズレが生じることがあります。これが「認知バイアス」です。

 認知バイアスは、そうとわかっていても、つい落とし穴にはまり、なかなか修正することができません。だからこそ認知バイアスなのです。

 人は自分のクセに無自覚であるという事実に無自覚です。他人のクセには容易に気づくことができても、案外と、自分自身のクセに気づかないまま自信満々に生きているものです。最大の未知は自分自身なのです。

 本当の自分の姿に気づかないまま一生を終えるなんてもったいない――。せっかく人間に生まれてきたのですから、自分の認知バイアスについて知っておくのは、決して悪いことではありません。本書の意図はここにあります。本書は、心の盲点を知るための手引き、いわば「心の辞書」です。

 人間は心の多面体です。だから認知バイアスにはたくさんの項目があります。本書では古典例から最新例までを慎重に80個選定しました。実感を高めるために、各項目に簡単なクイズを設け、ドリル風にしました。さまざまな形式のクイズを採用しています。

 残念ながら本書で取り上げられなかった認知バイアスについては、代表的な225項目を巻末にリストしました。すべて科学的な作法に則って実証されたもので、都市伝説的なネタとは異なります。このリストを、胸に手を当てながら素直に眺めると、図星を指される項目も多く、自戒に胸が疼きます。

 でも、落ち込む必要も、恥ずかしがる必要もありません。それは脳の仕様なのですから。

 ヒトはみな偏屈です。自分に都合よく世界を認識します。そうしなければヒトは考えることができないからです。

 つまり、「歪める」という偏見フィルターは、私たちにとっての心であり、「考える」というプロセスそのものです。だから、脳に偏見があること自体は罪ではありません。クセは成熟した脳のデフォルトです。そして偏見は生きることを楽にしてくれます。

 ただし注意してください。偏見自体に罪はないとはいえ、その偏見に気づかずに生きているとしたら、もしかしたら罪かもしれません。全員が「自分」を盲信したままコミュニケーションすると、不用意な摩擦が生じかねないからです。運が悪ければ、喧嘩や諍いや戦争など、あらぬ方向に暴走するかもしれません。

 傾向と対策――。脳のクセを知っていれば、余計な衝突を避ける予防策になります。

 それだけではありません。脳を知れば知るほど、自分に対しても他人に対しても優しくなります。そして、人間って案外とかわいいなと思えてくるはずです。

 人間が好きになる脳の取り扱い説明書。そんなふうに本書を役立ててもらえれば著者望外の喜びです。

著者 池谷裕二(いけがや・ゆうじ)

1970年、静岡県藤枝市生まれ。薬学博士。現在、東京大学薬学部教授。脳研究者。海馬の研究を通じ、脳の健康や老化について探求をつづける。日本薬理学会学術奨励賞、日本神経科学学会奨励賞、日本薬学会奨励賞、文部科学大臣表彰(若手科学者賞)、日本学術振興会賞、日本学士院学術奨励賞などを受賞。主な著書に『記憶力を強くする』『進化しすぎた脳』『単純な脳、複雑な「私」』(ともに講談社ブルーバックス)、『海馬』『脳はこんなに悩ましい』(ともに共著、新潮文庫)、『脳には妙なクセがある』(扶桑社)などがある。

ページTOPへ