発達障害の素顔

発達障害の素顔

著者 山口真美(やまぐち・まさみ)

脳の発達と視覚形成からのアプローチ

はじめに

 筆者は、乳幼児の心と脳の発達を研究する心理学者である。この世界がなぜ、このように見えるのか、その当たり前のように見える不思議を探っている。

 心と脳の発達を調べるうちに、ちょっと気になることに遭遇することもある。

「うちの子は自閉症だと思うんですけど……。研究室に伺うので、ぜひ見てください!」

 赤ちゃん実験を始めて5年ほど経過した頃に、そんな電話を受けたことがあった。

 私たちの研究室では、実験に参加する赤ちゃん研究員を広く募集している。新聞の折り込みチラシに「赤ちゃんを対象とした見ることの検査」といった広告を出して、赤ちゃんをもつ家庭からの応募を待つ。その電話も、折り込みチラシと研究室のホームページを見たことが、きっかけだったようだ。

 私たちの研究室で行うのは、赤ちゃんを被験者にして、形や色、動き、そして顔を見ることなど、視覚に関する機能を調べる「赤ちゃん実験」である。実験のデータを収集するのとあわせて、実験に参加したお礼として、それぞれの家庭の結果をその都度送っている。実験に参加した家族は、自分たちの子どもの発達状態を知ることができるのである。

 電話をしてきたお母さんが研究室に連れてきたのは、生後6ヵ月の赤ちゃんだった。上のきょうだいが自閉症であるため、第二子もそうであるにちがいないと、お母さんは思い込んでいるようだった。

 後に詳しく説明するように、自閉症の診断は、言葉や社会性の問題が表面化する2歳半から3歳にならないと、確定が難しい。しかしそれらしき兆候は、赤ちゃんの頃からもなんとなく感じられる。なんとなくわかるが、そのうちの大半の子どもは、成長していく中で自閉症的な兆候は消え去り、自閉症と診断されることもない。それが発達の不思議である。

 その電話の主も、わが子の様子に直感的にひっかかるところがあったのだろう。しかし、こういう事態で世間が想像するような、悲壮な感じは決してなかった。「この子も自閉症かもしれない」の背景には、むしろ「そう思う方が、楽しいかもしれない」という気持ちが大いに感じられた。「うちの子は、何か人とちがった才能があるのでは」という強い信念があった。

 もちろん大変なことはいろいろあって、だからこそ私たちの研究室にコンタクトを取ってきたことは確かだろう。その上で知的好奇心は人一倍強く、「うちの子には、何が見えるの」「うちの子には、何が見えないの」と赤ちゃん実験に積極的に参加してくるのだ。そこには、子どもの個性をひとつの可能性としてとらえ、そのちがいを純粋に驚き、楽しんでいるお母さんの姿があった。

 私たちが研究する心理学・認知科学と呼ばれる分野では、人の心のメカニズムを解明することが目的のひとつである。そのためには、大人と赤ちゃんの見る世界のちがいを知ることを出発点として、その背景にある高度な脳の発達と、それを支える環境とのインタラクションを探る必要がある。

 心理学は、医学のように直接的に人の役に立つことはない。さまざまな精神的な問題や行動改善には投薬が一般的だが、それは医師の手によるものだ。

 一方で私たちの実験で提供できることは、「その子の発達的な変化」と「その子が見えていることと、見えていないこと」に関する情報、ただそれだけである。

 では心理学は無力なのかというと、心理学が提供する「知識」には別の力がある。

 もちろん問題を抱える子をもつ親の一番の心配事は、「学校でうまくやっていけるか」「社会にうまく送り出せるか」から、「どうやったら問題は改善できるのか」「どう教育したらいいのか」までさまざまだ。じつは、これらの問題の対処に、心理学は大いに貢献している。

 たとえば問題を抱えた子どもを支援する学習とその進め方は、学習心理学の知見に基づいている。そして発達障害かどうかを診断する検査も、心理学の知見によるところが大きい。自閉症をはじめとする発達障害は、遺伝子や生化学的な検査で明確に診断できないからだ。社会的な行動に問題がないか、お母さんの声かけにきちんと答えられるか、言葉に遅れはないか、知能検査の各項目にバラツキはないか……。そうした心理学的な検査に基づいた診断に頼らざるを得ない状況にある。

 さらにいえば、一連の検査を受け、支援の機会が設定できたとしても、家族にとってはそれで完了というわけではない。子どもの発達に寄り添っていくことが必要で、それが発達障害の特徴ともいえる。それはある意味、子どもをもつすべての家族と同じ状況で、それがより強調された形で表れているともいえる。

 親の望みは、子どもたちを、社会の中で役割をもつ一人の存在に育て上げることだ。一方で子どもたちが歩んでいく日本の社会や学校は、いまだに不寛容だ。波風の立たない人並みの平均をよしとして、飛びぬけた個性を許容しない。個性豊かな発達障害の人にとっては、さらにやっかいな壁である。

 子どもが社会へ巣立つまでの道のりで、親は最初の理解者になる必要があるだろう。子どもと共にどう生きるかは、一人ひとりの子どもの個性を理解し、受け止められるかによるところが大きい。

「目の前にいる、私とはちがうこの子の世界を知りたい、理解したい」。それが私たちの実験に参加する家族の願いであり、私たちが提供できるのは、その一端である。「私と子どもは、一心同体」というのは、勝手な思い込みでもある。客観的なちがいを知り、そのちがいを楽しむ余裕をもつことが大切だ。特に個性のある子をもつ親にとっては、必須の考えである。

 本書で扱う、視覚情報処理とその発達という科学的知見に基づいた理解は、大きな支えとなろう。たとえばこれまでのやり方では、何かを教えようとするときに、大多数の平均的なやり方を無理強いしているところがあった。科学的知見は客観的であるので、どの立場にも平等で、多数派に加担することはない。親であれ教師であれ、これまでのやり方や平均的な立場を強要せず、相手の立場に即して対応することができるからだ。

 この本で扱うのは、ASD(自閉症スペクトラム障害)、ADHD(注意欠陥多動性障害)、ディスレクシアなど、教育現場で問題が指摘される発達障害と、ウィリアムズ症候群といった遺伝子疾患が明白な発達障害で、障害の程度はちがうがいずれも知覚認知に歪みがあることで共通している。障害によってそれぞれ独特の視覚認知機能をもち、その背景には視覚や認知にかかわる脳の特異性があることがわかってきた。つまり、視覚認知から問題をよみ解くことができるのだ。

 中でも自閉症は近年、自閉症スペクトラム障害とも呼ばれ、その特性は広く個性として私たちの中にも浸透している。自閉症は、1940年代に児童精神科医レオ・カナーによって最初に記述された、統合失調症ではない古典的な自閉症から始まり、知的障害を伴わないアスペルガー症候群、映画「レインマン」で有名になった特殊技能をもつサヴァン症候群まで、多様な状態がある。自閉症と似た個性をもちながら診断されず、個性として埋もれている人たちの発達も、視野に入れていく。

 こうした「発達障害」は、発達の過程で問題が明確化していく。発達と連動する障害を浮き彫りにするためには、後天的に障害を受けた脳損傷患者や認知患者と比較していく必要がある。


 効率を求め、平均的なマニュアルで教育することに慣れ切った人たちには、発達障害の人と接するのはやっかいだろうが、人を育てるということは、本来そういうことだ。実験に参加したその家族も、その後いろいろあったとしても、赤ちゃん実験で学んだことを忘れずに、ハッピーな関係へとたどりついていることを信じている。

 他者について理解を深めようとするとき、顔を見る行為はもっとも大切なこととなる。顔を見ることは、自閉症の人たちの苦手なことのひとつとされているが、実際に健常者と比べると、そもそも全体のバラツキが大きいことがわかってきた。「顔を見る」という行動は、世界を見る能力の中でも特に発達した、複雑な能力である。複雑な発達を経るがために、その能力のバラツキが大きく、また複数の下位能力に分かれて独特な認知を形成するのである。

 卒業してから20年以上たった後、同級生を雑踏の中から見つけ出すことができる人もいれば、毎日オフィスで顔をつき合わせている同僚と街中ですれちがっても、その顔がわからずに気づかない人もいる。そんなバラツキが、なぜ生じるのか。

 本書では、これまで社会性の障害といわれてきた発達障害の原因を、近年の脳科学と認知科学からわかった成果を基に説明していく。発達障害の問題は、発達の出発点における、ほんのわずかな認知のちがいにある。認知の基本であるモノの見え方や聞こえ方が平均的な人たちとちがうだけで、コミュニケーションのすれちがいが生じ、社会性がないというレッテルを貼られることになる。

 現代社会の中では、発達障害は特殊な問題ではない。中でも自閉症においては、同じ傾向をもつ人々はすそ野を広げ、社会の中でひとつの個性となりつつある。学校や会社で、少々変わった人はいないだろうか。じつは私たちのごくごく身近に、こうした素因をもつ人々は存在するのである。

 小児医療の進展に伴い、発達障害と診断されるケースは増加傾向にある。こうした状況の中で人々は、さまざまな個性を受け入れていかねばならない。そのためにも、発達障害の認知の特殊性を理解する必要があるのだ。

 最後にひとつ。赤ちゃん実験の立場からすると、発達障害に見られる個性的な認知とその脳の発達は、「脳の発達と進化」から鑑みて、より進化した形態である可能性も考えられる。そんな世界をのぞいていこう。

著者 山口真美(やまぐち・まさみ)

一九八七年、中央大学文学部卒業、お茶の水女子大学大学院人間発達学専攻単位取得退学。博士(人文科学)。ATR人間情報通信研究所客員研究員、福島大学 生涯学習教育研究センター助教授、中央大学文学部心理学研究室助教授を経て、現在、同大学教授。著書に、『美人は得をするか 「顔」学入門』(集英社新 書)『顔を忘れるフツーの人、瞬時に覚える一流の人』(中公新書ラクレ)『「個性」はどこから来たのか』(講談社)『赤ちゃんは世界をどう見ているのか』 (平凡社新書)など多数。

ページTOPへ