脳からみた自閉症

脳からみた自閉症

著者 大隅典子(おおすみ・のりこ)

「障害」と「個性」のあいだ

はじめに

 米国の子ども向けテレビ番組「セサミストリート」をご存じの方は多いでしょう。「クッキーモンスター」「ビッグバード」「エルモ」などのキャラクターたち(マペット)のやりとりを通して、言葉を覚えたり、友だちとのつきあい方を学んだりする教育番組で、1969年の開始以来、米国だけでなく150以上の国や地域で翻訳されて、親しまれています。日本でも1971年から30年以上にもわたって放送されましたので、ご覧になったことのある方は多いと思います。


 この「セサミストリート」のホームページ「Sesame Street and Autism」で読めるウェブ絵本(We're Amazing, 1, 2, 3!)に最近、新しいキャラクターが加わりました。


 髪の毛はオレンジ、目は緑。エルモの幼なじみの「ジュリア」という名前の女の子です。


 ジュリアは、普通の子どもとはちょっと違った行動をとります。


 たとえば、ブロック遊びのしかたが、普通の子どもとはちょっと違います。


 人となかなか目を合わせません。


 それから、音にはとても敏感なところなど……。


 実は、ジュリアは「自閉症」なのです。


 米国では近年、自閉症の子どもの数が大きな増加をみせています。ごく最近では、68人に1人が自閉症であるという報告もなされています。


 この割合から考えても、自閉症はけっして「稀な病気」ではなく、とても身近なものです。にもかかわらず、自閉症の子どもの「ちょっと違った性質」が理解されないために、いじめにあっってしまうことなどもあります。これは見過ごせない問題です。


 日本でも、就学前や学童期に自閉症と診断される子どもが増えています。この20年間で、特別支援教育を受ける児童・生徒は倍増し、各地で支援学校が新しくつくられています。


 自閉症は大きくいえば「発達障害」と呼ばれるカテゴリーに含まれる疾患なのですが、最近では「大人の発達障害」にも世間の注目が集まってきています。自閉症は「子どもの心の病気」と考えられていますので、子どもの頃にそういう診断を受ける機会がないと、大人になってからも自分が自閉症であることを知らないままの人も多くいるのです。社会人となって、仕事のうえで他人との密なコミュニケーションが必要になって初めて、それがうまくできないことに気づくというケースが増えてきています。


 筆者の勤務する大学でも、発達障害の学生に配慮すべきことについて書かれたガイドブックが数年前から教員に配布されるようになりました。大学入試を突破する学力はあっても、大教室で講義を受けることや、ゼミや研究室などで家族以外の人たちと長時間、密接に過ごすことが困難な学生が多くなってきたからです。


 いま、自閉症の人が増えてきているのだとしたら、その原因は何なのでしょうか?


 筆者はもともと、脳の発生発達のメカニズムを研究する基礎研究者です。脳ができあがるまでのしくみは実に複雑精緻で、そのプログラムは見事としか言いようがありません。裏を返せば、そのようなプログラムであるだけに、ほんのちょっとのバグが入るだけでも、脳のはたらき方は変わってしまうのです。


 このことに気づいてから筆者は、自閉症などの発達障害がどのようにして生じるのか、なぜ世界中で増えているのかについて、生物学的な観点から興味をもち、研究するようになりました。


 その成果もふまえていま、確実にわかっていることを先にいえば、自閉症とは、脳のはたらきに少しだけ変調のある状態です。その原因は、脳の発生発達のプロセスに求められます。つまり、脳の発生発達を知ることこそが、自閉症を理解するための鍵となるのです。


 にもかかわらず、自閉症には20世紀半ばから、母親の愛情の欠如が原因であるとする考え方がつきまとい、現在も根強く残っていて、自閉症児をもつ母親たちを苦しめています。2016年になって、子宮頚がんワクチンには副作用があるのではないかということが専門家の間でも議論となっていますが、自閉症についても、三種混合ワクチンの接種によって引き起こされるという「ワクチン説」が出回ったことがありました。これは英国の捏造論文に端を発する間違った思い込みなのですが、いまだに信じている方は多いようです。


 本書は、ともすると誤解されがちな、そのためにご家族や保護者の方々も無用の苦痛を背負ってしまいがちな自閉症について、筆者の専門である脳科学の立場からとらえたものです。自閉症とは何か、どのような原因で生じるのか、いまどのような研究が進んでいるのかについて、一般市民の方々にわかりやすく伝われば幸いです。


 また、これから発達障害や自閉症について研究したいと考えている若い研究者や、その卵のみなさんにも読んでもらえたらと願っています。さらには自閉症患者団体の方々、児童福祉関係、医療行政関係、医学系の研究政策関係の方々にも手にとっていただければありがたく思います。

著者 大隅典子(おおすみ・のりこ)

1985年、東京医科歯科大学歯学部卒業、1989年、同大学大学院博士課程を修了し(歯学博士)、同大学歯学部助手。1996年より国立精神・神経セン ター(当時)神経研究所室長を経て、1998年11月より東北大学大学院医学系研究科教授(現職)。2006年より東北大学総長特別補佐(男女共同参画担 当)、2010年より大学院医学系研究科附属創生応用医学研究センター、脳神経科学コアセンター長、2015年より創生センター長。第20~22期日本学 術会議会員。著書に『脳の発生発達―神経発生学入門』(朝倉書店)、訳書に『心を生み出す遺伝子』(ゲアリー・マーカス著、岩波現代文庫)などがある。

[B1964]

脳からみた自閉症 「障害」と「個性」のあいだ

大隅典子

「完璧な脳」など存在しない。脳ができるまでのわずかな不具合が、なぜ発達障害となり、自閉症になるのかを、第一人者がやさしく解説。

定価 : 本体900円 (税別)

ISBN : 978-4-06-257964-3

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