細胞の中の分子生物学

細胞の中の分子生物学

著者 森 和俊(もり・かずとし)

最新・生命科学入門

まえがき

 私は、今でこそ生物学の教授をしていますが、じつは、大学へ入るまでは生物という科目が嫌いでした。


 高校1年で生物Ⅰを学びました。動物の細胞と植物の細胞を比較すると、内部に共通して存在するもの(核、ゴルジ体、ミトコンドリア)もあるのですが、植物の細胞には葉緑体や液胞が入っています。動物細胞も植物細胞も細胞膜で囲まれているのですが、植物細胞の場合はさらに細胞壁が取り囲んでいます。こんなふうに、生物は生物ごとに違う仕組みを使っているように思えました。


 細胞分裂のところでは、有糸(ゆうし)分裂を習いました。細胞が分裂するときになぜ糸が出てくるのか、わけがわかりませんでした。しかも、分裂が進むにしたがって糸の様子が変わっていく間期・前期・中期・後期・終期の特徴をそれぞれ覚えなければなりません。こんな暗記科目は無理だと思い、生物Ⅱは履修しませんでした。


 そんな私が変わったのは、大学1回生のとき、1977年のことでした。新聞記事で利根川進博士(1987年ノーベル生理学・医学賞受賞)のご活躍を知り、分子生物学という未知なるものに遭遇したことがきっかけです。


 興味を持っていろいろと本を読んでいるうちに、まず遺伝物質はDNAであり、DNAにタンパク質の情報が暗号化されて書き込まれていることを知りました。へぇ、生物って暗号を解読しながら生きているんだ、とわかり、小学生の頃「シャーロック・ホームズの冒険」や「怪盗ルパン」をワクワクしながら読んだミステリー好きの私の好奇心がかき立てられました。


 さらに、この遺伝暗号が大腸菌からヒトまで共通だと知り、暗記科目だと思っていた生物にも、とてもシンプルな根本原理が存在することに本当に驚きました。しかもこの原理を活用すれば、遺伝子工学によってヒトのタンパク質を大腸菌で大量生産することができるといいます。私はその将来性に惹かれ、生物学を学びたいと思い転向したのです。


 以来、40年近く生物学の研究をしてきました。細胞って本当によくできているなぁという感慨でいっぱいです。本書は、そんな生物学・細胞研究の面白さを一般の方々にお伝えするため、できるだけ平易に書き下ろしたものです。ぜひ最後までお付き合いください。難しいところもあるでしょうが(ややこしいところは、章末コラムとして読み飛ばせるようにしました)、読み通すことができれば、きっとあなたも生物学好きになるはずです。ノーベル賞ネタを満載しましたので、毎年10月初めの発表が待ち遠しくなること請け合いです。


 本書の理解に化学の基礎知識は必要です。分子は原子からできていましたよね。スイ(H)ヘー(He)リー(Li)ベ(Be)ボ(B)ク(C)ノ(N・O)フ(F)ネ(Ne)ソー(Na)マガル(Mg・Al)シッ(Si)プ(P)ス(S)クラー(Cl・Ar)ク(K)カ(Ca)、という原子の周期律表の覚え方は、けっこう皆さんの頭の中に残っているのではないでしょうか。高校生になる私の娘は、ナナ(Na)マガリ(Mg)アル(Al)等と習っているので、時代によって多少覚え方が違っているかもしれません。これら20種の中でも、生物がよく使う原子は、水素(H)、炭素(C)、窒素(N)、酸素(O)、リン(燐、P)、イオウ(硫黄、S)の6種類です。本書にはほぼこれだけしか出てきません。


 原子が集まって分子になります。原子間にできる共有結合って、何を共有しているかわかりますか。答えは電子ですが、原子と原子が強く結合していて簡単には切り離せないのが、共有結合と理解してもらえれば十分です。


 生物が最も多量に使っている原子は炭素(C)です。炭素は4つの共有結合を作ることができるため、複雑な化合物を作りやすくなっています。こうして作られる炭素を含む物質を、有機化合物と呼びます。


 一方、水素原子は近くの窒素や酸素などと緩やかに結合して水素結合を形成することができます。水素結合は共有結合ではないため、比較的簡単に切り離すことができます。


 子供の頃、液体が酸性かアルカリ性(塩基性)かをリトマス試験紙で調べましたよね。酸性というと、食べ物を溶かす胃酸を思い浮かべるかもしれませんが、これはpHでいうと1~1.5くらいで、かなり強い酸性です。しかし、本書で扱うのはもっと繊細な領域です。細胞内は中性pHの状態にあり(pH7くらい)、このときマイナスの電荷(マイナスの電気量)を持っていれば酸性、プラスの電荷(プラスの電気量)を持っていれば塩基性と呼びます。マイナスの電荷を持っている酸性の分子と、プラスの電荷を持っている塩基性の分子は、当然引きつけ合いますよね。これをイオン結合といって、共有結合と水素結合の中間くらいの強さです。


 肩の力を抜いてぜひお楽しみください。

著者 森 和俊(もり・かずとし)

一九五八年岡山県倉敷市生まれ。一九八五年京都大学大学院薬学研究科博士課程退学。一九八七年京都大学薬学博士。岐阜薬科大学助手、テキサス大学博士研究 員、エイチ・エス・ピー研究所副主任研究員・主任研究員、京都大学大学院生命科学研究科助教授を経て、現在、京都大学大学院理学研究科教授。小胞体ストレ ス応答研究の開拓者。ワイリー賞、ガードナー賞、紫綬褒章、上原賞、朝日賞、ショウ賞、ラスカー賞、学士院賞恩賜賞など受賞多数。

[B1944]

細胞の中の分子生物学 最新・生命科学入門

森和俊

人体を構成する細胞一つ一つに備わった生命を支える絶妙なメカニズム。京大名物講義をもとにした世界的研究者による生命科学入門。

定価 : 本体900円 (税別)

ISBN : 978-4-06-257944-5

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