経済数学の直観的方法 マクロ経済学編

経済数学の直観的方法 マクロ経済学編

著者 長沼伸一郎(ながぬま・しんいちろう)

序文

経済学部からのSOS

 筆者がこの本を書くに至ったきっかけは、何人かの読者からメールをもらったことから始まる。それは理系ではなく経済系の読者からのもので、もし経済学部で筆者の前著『物理数学の直観的方法』のような本があれば、どれほど多くの学生が救われるかわからない、という内容のものだった。

 そしてさらに詳しい話を聞いて驚いた。筆者はそれまで経済数学について、基本的にせいぜい高校数学レベルより多少上のもの、という程度の認識をもっていたのだが、最近の経済数学は、一昔前とは次元が違うほどに高度なものとなってしまっているのである。その中には、理系の物理学科の学生でさえ苦労するようなメソッドも含まれており、量的にも負担が増えているのだが、経済学部ではその数学的準備のための講義の時間が、理系と比べてほとんどとれていないようなのである。

 そして上級マクロ経済学の教科書として使われている本にもいくつか目を通してみたのだが、これも本の中に数学部分の説明がほとんどなく、十分な準備のない学生がいきなりこれを読まされて意味が理解できるとは到底思えないものだった。そのため現実には大半の学生が理解を諦めて、お経のように丸暗記することで乗り切っているのが実情のようである。そしてカリキュラムもだんだん前倒しになって、大学院で教えていたものがどんどん学部レベルに降りてくる傾向にあるらしく、これでは学生が悲鳴を上げるのも当然だろう。

「二大難解理論」を先に制覇するというアプローチ

 正直、この状況を知るまでは、経済数学の本を書くことにはあまり気乗りがしなかったのである。物理の数学と経済数学を比べると、確かに物理の数学は経済数学より格段に難しいのだが、その高度な数学の背後には、何か宇宙の神秘が隠されているという感覚があった。そしてそれを学ぶ際には、これを習得すればその秘密に迫れるという期待感が、難しさの苦難を上回っていたのである。

 しかし経済数学にはそういう神秘的な期待感がほとんどない。そもそも経済数学というもの自体が、物理や天体力学の世界で成功した数学技法で使えそうなものを寄せ集めて作られた、という性格をもっており、そのため全体を見ても、雑多で無味乾燥なツールがばらばらに並んでいるだけで、何か明確なストーリーが見えてこないのである。

 そのため学ぶ側からすると、そのようにストーリーが見えない状態の中で、一つメソッドを習得しても次には全く別のものが脈絡なしに登場し、量的にもそれらがどんどん増えていくので、この先一体いくつ壁を越えねばならないのか果てが見えず、精神的にも参ってしまうのである。

 これは書く側としても気乗りのしない話で、もともと筆者の得意技は、理解の一番大きな障害となっている部分を、盲点から一発で突いて直観的なイメージを描き出すことにある。ところがそのように無数のこまごました小さな障害物が延々と連なっているような場所では、それが十分活かせず、二重の意味でモチベーションが生まれないのである。

 ところが状況がそんなことになっているとなれば、話は大きく変わってくる。つまりそういう巨大な障害物が出現しているなら、それを突破するには筆者の得意技が十二分に活きることになり、そこで身動きがとれなくなっている大勢の経済学徒を一人でも多く救い出すことは、何やら一種の救援ミッションのようで、書き手側の士気も俄然上がろうというものである。

 それを念頭に現在の経済学の世界を眺めると、そこには難解さの代名詞となっている厄介な理論が2つある。まず一つはマクロ経済学の「動的マクロ均衡理論」で、もう一つは金融工学の「ブラック・ショールズ理論」であり、これらがいわば「二大難解理論」としてそびえ立っているというのが、現在の経済学の姿である。

 そこで本書ではむしろこの状況を逆手にとって、こうした経済学部の障害をまとめて解消する大胆な方法論を試みることにした。それは、普通の常識的な攻略法とは逆に、むしろ目標をこの「二大難解理論」に絞って、他のこまごましたものを後回しにして先にこれらを一挙に制圧してしまうのである。

 つまりそれらを直観的に理解してしまえば、読者はその2トップの頂上から経済数学全体を見渡す格好になり、そうなれば今までのミクロ経済学などのたくさんの数学的メソッドは、ちょうど一番高い山からそれより低い山を見下ろす要領で、精神的に余裕をもって、背後から楽に片づけられるようになるはずだ、というわけである。

 当初はこれを1冊の本で行うつもりだったが、分量が増えたため、「マクロ経済学編」「確率統計編」の2冊に分けて、それぞれでこの二大難解理論を一方ずつ扱うことにした。双方の内容は互いにほぼ独立しているので、どちらか一方だけを知りたいという読者は、無論片方だけを読むこともできる。ただそういう読者の場合でも、両方を併せて読まれることで、経済数学全体をこの2トップからの視野に収められて、単なる2倍を遥かに上回る絶大な効果を期待できるはずである。

最新の動的マクロ経済学とはどんなものか

 ではこのマクロ経済学編で扱う「動的マクロ均衡理論」とはどんなものかについて、簡単に述べておこう。これは70年代ごろから米国を中心に発達し、景気循環の中での消費行動などをダイナミック=動的に描き出せる理論として、その中核をなす理論が2004年にノーベル経済学賞をとった。それ以来米国の経済学界で寵児となって、現在では各国の中央銀行でも「インフレ・ターゲット」などの分析に不可欠なツールとして採用されており、今やこれを使っていない論文ではほとんど通用しなくなっているという。

 そのため当然、日本でも経済学部の上級課程では必須なものとして導入され、そこで使われる「ラグランジュアン」というツールに関しては、大学院の講義でそれを見ない日はないという話も聞く。つまり一昔前のアカデミックな経済学の世界では、いわゆるケインズ経済学がトップ理論だったが、現在ではこの動的理論がその地位にあると言えるだろう。

 しかし一昔前を振り返ると、大学の外でも、アカデミックな世界のトップ理論であるケインズ経済学の一般向け解説書が新書版などでたくさん出ていたのだが、これに関してはそうしたものが見当たらない。実はこれらの最新理論は、その内容が高度な数学と不可分であるため、今までのような文系の新書版などの一般解説書では、もはや扱うことができなくなっているのである。しかしそのため世の中全体で、何か経済学全体に中心の幹のようなものが見えなくなっていることは否めない。

 そしてこの理論に関しては実は大学の外でもう一つ問題があり、それは日本ではこの理論の導入が欧米より大幅に遅れたため、それを学び損ねた世代が現在、官庁などで政策決定に当たる人々の年齢層に差し掛かっていると見られることである。しかしそういう立場の人々が40~50代になってからこれを学び直す困難は容易に想像でき、これら全てに何らかの解決策が必要となっている。

 しかし本書の場合、物理と経済の中央位置に視点を置いて、理系と文系の間を自在に行き来して解説を行うという、他に例のないユニークな特性ゆえ、これを直観的に解説する道が拓けることになった。そしてその場合、話の基本部分はあまり数学を使わずに述べることができるため、上のような読者にも十分手が届くものになると考えられるのである。

 そこでこの本では、全体を「初級編」「中級編」「上級編」の3つに分け、初級編と中級編ではなるたけ数式を使わずに、大まかな本質や物の考え方を普通の言葉で述べる一方、本格的な数式を使った解説は上級編の部分に集中させる方針をとった。

 そのため結果的に本書は2種類の使い方ができるようになり、上級編までを精読すれば大学で本格的な参考書として使える一方、初級編と中級編は一般読者でも一種の読み物として十分に読めるので、この部分だけを切り離して一般向け解説書として使うこともできるはずである。そして後者のように使う場合、本書は恐らくこれに関する初めての一般向けの解説になると思われる。

各部の構成とスタンス

 ではそれら各部についてもう少し詳しく述べよう。まず初級編だが、実はこれまで経済学部では、そうした数学メソッドの背後にどんな思想があるかをあまり教えてこなかった。しかしそれがしばしば理解の妨げになっていると考えられるため、ここではそれを重視した記述をとっている。

 そして先ほど述べたように、確かに経済数学には宇宙の神秘とつながっているという面白味はないのだが、そのかわり、世界史の中で社会思想に裏からどう影響してそれを動かしてきたのか、という別の興味が存在している。そのため初級編ではむしろそこを切り口にして、特に「理系の目から見た経済学の発展史」というユニークな視点から眺めることで、この動的マクロ理論が生まれた経緯を浮かび上がらせている。

 またその際には一世代前のケインズ経済学と対比させるとわかり易いので、初級編ではケインズ経済学の復習も簡単に行っている。そのため今まで経済知識がほぼゼロだった理系読者なども、この部分でそれをまとめて補うことができ、この部分だけをその目的のために使っても良いほどである。

 

 そして中級編では、いよいよこの動的均衡理論の直観的な本質に一挙に迫ることを試みる。今までこのトップ理論は一般読者には理解の方法がないとされていたが、実はこの理論は、物理の世界では古くから知られている「フェルマーの原理」という、光に関する一種神秘的な原理を軸に解説すると、大して難しい数学を使わずとも、その本質を一挙に直観的イメージとして理解できるのである。

 これは従来の経済学だけの視野からはあまり語られてこなかったようだが、このルートから行くならば、40~50代になってから仕事の合間に学び直したいという読者でも十分に理解が可能だと思われる。

 

 次の上級編では、専門課程の学生のために、具体的な式の立て方や、その各部の意味などについて、やはり最短距離で述べてある。本書ではかなり高度なレベルまでをカバーしているので、専門課程の学生やプロの読者は、とにかくこれだけを頭に入れれば、大学院のマクロ経済学のこの理論の最も難しい部分を最短距離で突破して、その数学部分を自在に使えるようになるはずである。

 また大学院よりもっと下の学部だと、直接はこの動的理論は必要ないが、学部レベルではこのメソッドをスペックダウンした形の「ラグランジュの未定乗数法」などがしばしば難所となっており、そういう読者も一種の予習として本書に目を通しておくことで、大幅に理解が楽になると思われる。

 

 なお本書の場合、なにぶん筆者が物理屋のため、経済用語の表現や選び方が経済業界のそれとは多少ずれているが、実は理系読者や一般読者にはむしろ多少素人くさい表現の方がわかりやすい。そのため半ば意識的にそういう言葉を選んでおり、プロの方はその点はご容赦いただきたい。その一方で、上級編には経済学の世界からは接近しにくい知識や情報もいくつか盛り込まれており、そこはプロの読者も目を通す価値があるのではないかと思う。

 一方理系読者の場合、あまりマクロ経済学に関心はないかもしれないが、実はこの理論は数学に大きく依存しているため、理系読者は意外に上達が早い。というより本書の場合、理系の人には親しみ深い数学の話に軸足を置いて、そこから経済学の頂上部分を眺めるという得難い経験ができ、その際にはこれをちょうど物理の一分野の話のように読むことができるのである。そのためむしろ今まで経済学が苦手だった人こそ、このルートから「経済学もわかる人」になっては如何だろうか。

 

 またこのマクロ経済学編では、一種の豪華なおまけとして、経済学部でどうしても欲しくなるいくつかの数学的概念についても3つほど採り上げて、それぞれを上級編の4章、5章、6章で解説している。それらは「微分方程式」「固有値」「位相・関数解析」などで、これらは経済学部で十分な準備なしに登場して習得を強いられ、おまけに参考書でも経済学部向けのまとまった解説が供給されることが極めて少ない。現実問題、経済学部の教室ではこれらの数学について十分時間を割いて教えることがなかなかできないと思われるので、本書がそこを副読本の形で引き受けることにより、教室で教える側は本来の経済学の話題に専念できるのではあるまいか。一方経済学部の学生は、何かの時に備えてとにかく本書を緊急用に一冊もっていれば、ピンチの際に一再ならず役に立つはずである。

 

 かつて筆者の前著『物理数学の直観的方法』では、試験が迫っているのに講義内容が全くわからず絶望的な状態にあった学生が、試験前日に書店で同書を見つけて買って帰り、一晩で読了して翌日の試験を突破した、などという伝説的なエピソードが数多くあったが、本書の場合もかなり似たことを期待できるものと思う。

 実際に、たとえ今まで経済学に関してほとんど知らなかった読者(理系読者も含む)でも、カンの良い人なら今日ここで本書を買って家に帰って読み始めれば、1~2週間後には大学院レベル、あるいはそれ以上の最先端のマクロ経済学の論文の大まかな内容を十分理解できる人間になっている、というのも決してあり得ない話ではないはずである。

 いずれにせよ、本書はいろいろな立場の読者が、各自の目的に合わせて多様に使うことができるため、それぞれの立場に応じて役立てていただければと思う。

著者 長沼伸一郎(ながぬま・しんいちろう)

1961年東京生まれ。1983年早稲田大学理工学部応用物理学科(数理物理)卒業、1985年同大学院中退。1987年、『物理数学の直観的方法』の出版により、理系世界に一躍名を知られる。「パスファインダー物理学チーム」(http://pathfind.motion.ne.jp/)代表。著書に『物理数学の直観的方法 普及版』(講談社ブルーバックス)、『一般相対性理論の直観的方法』『無形学世界の力学と戦略』『ステルス・デザインの方法』(以上、通商産業研究社)、『現代経済学の直観的方法』(電子書籍として上記著者サイトで販売)がある。

[B1984]

経済数学の直観的方法 マクロ経済学編

長沼伸一郎

理系学生伝説の参考書『物理数学の直観的方法』著者が、文系向けに難解な経済数学の要諦を斬新な切り口で分かりやすく解説する。

定価 : 本体1,200円 (税別)

ISBN : 978-4-06-257984-1

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