40歳からの「認知症予防」入門

40歳からの「認知症予防」入門

著者 伊古田俊夫(いこた・としお)

リスクを最小限に抑える考え方と実践法

はじめに 「認知症の人が増えない社会」を目指して

 ある秋の日、私は空知(そらち)から札幌へ、道央自動車道を走っていました。

 真っ青な空、やわらかい陽光、鮮やかな紅葉……、すべてがさわやかでした。そのときです。

「あっ!」

 インターチェンジから乗り入れてきた車が右折しかけ、走行車線に誤進入する気配を見せたのです。ギクッと驚いた私は、クラクションを鳴らすと同時にブレーキを踏んで、それから追い越し車線に移りました。右折しかけた車は一瞬たじろぎながら左折し直し、走行車線に沿って走って行きました。ちらっと見えた運転席では、高齢の男性がハンドルを握っていました。

 自宅に帰り着いてもまだ、動悸は収まっていませんでした。逆走しかけた高齢者が、認知症を患っている人かどうかはわかりません。ただ、いま私たちの暮らすこの社会が「認知症の人や、認知症が始まりかけた人々とともに暮らす社会」であることを、あらためて実感していました。これまでの私は、講演や著作を通じて、認知症の人が増加する社会の中で「認知症の人に優しい社会をつくろう」「認知症の人を支えて一緒に穏やかに暮らせる社会を実現しよう」などと語ってきました。しかし、その日の高速道路での体験を境に、心の中に新しい視点が芽生えました。

 それは、認知症の人の安心・安全、社会の安心・安全を守るためには、認知症の人がこれ以上増加することのないよう、社会を挙げて取り組み、食い止める必要がある、ということです。認知症の人に優しい社会、認知症の人と共生する社会の実現といっても、認知症の人が増えすぎたのでは、容易ではありません。予防に目を向け、認知症の人が減っていくような社会を目指して努力しなければならない――。そんな思いが沸々と湧き上がってきたのです。

 日本社会における認知症は、急速に増加しています。二〇一五年の推計値では、五二〇万人と発表されました。これに迫る"予備軍"の数も四〇〇万人と推計されており、国民の一〇人に一人が認知症を患うという社会が目前に迫っています。認知症の人を社会全体で支える理念や構想が多数、発表されていますが、認知症の人が現在のペースで増加するならば、少子高齢化という現実の中で、早晩それは困難に行き当たるでしょう。

 すでに介護現場では、介護職員が不足し、また高齢化しています。人手不足ゆえの外国人介護士や介護ロボット導入への期待が高まっています。これが現実です。

 日本での活動実績もあるマーガレット・ロック教授(カナダ・マッギル大学文化人類学・医療社会学)の指摘は強烈です。

「今、世界は高齢化の津波に襲われ、認知症の洪水が発生している」「もしこの洪水を止める方法が見つからなければ、この状況は各国の医療制度を破綻させ、世界経済を狂わせる可能性が高い」(『現代思想』二〇一五年三月号)。

 ロック教授のいう「津波と洪水」の喩えが適切とは思いませんが、「このままでは危ない!」という痛切な悲鳴が聞こえてきます。ロボット利用のような表面的な対策ではなく、認知症を予防し、認知症の人そのものを減らす抜本的な対策を社会全体で考え、実践することが求められています。そのような取り組みなくして、この国の明るい未来はひらけてきません。

 本書は、一臨床医のそんな危機感と使命感から、認知症の予防策を一人でも多くの方に、それも発症までに時間的猶予のある現役世代=働き盛りのみなさんに知っていただくべく、平易にまとめたものです。

 認知症の多くは、その原因がわかっていません。原因もわからないのに、ほんとうに予防が可能なのでしょうか?

 可能である、と私は考えます。

 実際に、高齢化の進む先進国の一つ、イギリスでは認知症が減り始めています。生活習慣病の予防と治療の重視、大胆で徹底した減塩政策などを実施することでまず脳卒中を予防し、その結果として、認知症を減らすことにみごとに成功しているのです。

 一九九〇年前後と二〇一〇年前後の二度にわたる調査で、イギリスにおける認知症の人の数が減り始めている事実を知って、私は大きなショックを受けました。長寿・高齢化が進み、高齢者人口が増えている国で認知症が増えるのは避けようがない――そう思い込んでいたからです。

 しかし、本文で詳しくみていくように、実際は違いました。「認知症の人が増えない社会」の実現は可能だったのです。日本もイギリスに学び、もう一歩突っ込んだ認知症予防対策を実施すべき時代が来たのではないでしょうか。

 心強いことに、四〇~五〇代の「働き盛り世代」から生活習慣病の予防対策を始めると、高齢期の認知症を未然に防止する効果が高いことがわかってきました。働き盛り世代のみなさんにそのことをお伝えすべく、本書のタイトルに「40歳からの」というキーワードを盛り込みました。

 認知症の「予防」とは真の完全予防ではなく、発症の「先送り」を意味しています。ここにポイントがあります。「認知症の予防とは認知症を先送りすることである」とは、群馬大学大学院の山口晴保教授の言葉です(『認知症にならない、負けない生き方』)。私も、この考え方に賛同しています。

 現状では、年をとればとるほど認知症は増えていきます。認知症の予防を「発症の先送り」と考えることが合理的です。可能であれば、五年間程度先延ばしすることが一つの目標です。認知症の発症を五年間先送りできれば、認知症の人の数は四割ほど減少することがわかっています。

 本書の構成をご説明しておきます。

 まず、第1章では認知症予防策(先送り策)の全体像をスケッチ的に示します。第2章ではその具体策としての生活習慣に関する考え方を、第3章では運動療法や脳トレについて取り上げます。第4章ではシニア世代の愛と性についての問題を、高齢者の生きがいや豊かな心の問題として考察してみました。それが、認知症の危機を先送りする可能性を秘めているからです。

 つづく第5章では、早期のうちに認知症を発見し、本格的な重症化を防ぐための方策を考えます。そして最終第6章には、いまや全国民に必須である認知症の基礎知識をまとめました。

 各章のところどころに「Q&A」を配置し、認知症に関する必須知識の要点を整理できるよう配慮しました。答えを考えながら、読み進めていただければ幸いです。

 初めて認知症の本を読む方は、第6章からお読みいただくとわかりやすいと思います。認知症という病気そのものをさらに深く学びたい人は、拙著『脳からみた認知症』『社会脳からみた認知症』(ともに講談社ブルーバックス)をぜひ手にとってみてください。これら前二著では、認知症の病態、診断・治療法などを詳しく解説しています。本書は、それをふまえて、「40歳からの認知症予防」について体系的にまとめたものです。

 本書の執筆にあたっては、北海道新聞に二〇一四年四月から二〇一六年三月にかけて連載した記事をベースに、大幅に加筆・修正を行いました。新聞掲載時の原型をとどめている部分は全体の半分ほどで、事実上新しい著書として生まれ変わっています。連載をお読みくださっていたみなさんにとっても、あらためて参考になる内容になったと確信しています。

 高齢期のみなさんはもちろん、働き盛り世代のみなさんが本書を通して認知症の予防に関心をもっていただけることを、心から願うものです。

著者 伊古田俊夫(いこた・としお)

一九四九年、埼玉県生まれ。七五年に北海道大学医学部卒業後、同大脳神経外科、国立循環器病センター脳神経外科を経て、八四年に勤医協中央病院脳神経外科科長、二〇〇一年に同院院長に就任。二〇〇八年から同院名誉院長。二〇一〇年、札幌市認知症支援事業推進委員長。日本脳神経外科学会専門医、認知症サポート医。認知症の地域支援体制づくりに取り組むかたわら、社会脳科学の立場から認知症の臨床研究を進めている。著書に『脳からみた認知症』『社会脳からみた認知症』(いずれも講談社ブルーバックス)がある。

[B1988]

40歳からの「認知症予防」入門

伊古田俊夫

40~50代からはじめる予防策が認知症を劇的に減らす! 発症を遅らせ、重症化を防ぐための知識と実践法を専門医が徹底解説!

ISBN : 978-4-06-257988-9

ページTOPへ