生物はウイルスが進化させた

生物はウイルスが進化させた

武村政春(たけむら・まさはる)

はじめに 巨大ウイルスが問いかける「謎」

 前著『巨大ウイルスと第4のドメイン』刊行後の二〇一五年六月一〇日。私はいつになく興奮していた。
 幼い子どもがサンタクロースを心待ちにするのと同じように、私もまた、そわそわと落ち着きなく研究室を歩き回っていた。あるモノが到着するのを待っていたのである。
 じつのところここ数年、これほどまでに「待ち遠しい」という感覚を体中で覚えたことはなかったのだが、このときばかりは、まさにろくろ首のように「首を長くして」、その「あるモノ」を今か今かと待ち構えていたのであった。
 そうして、夕方になってようやく受け取ったその荷物の送り主は、フランス・エクスマルセイユ大学の研究者ベルナルド・ラ・スコラ博士。何重にも梱包され、大きな発泡スチロールに覆われていたのは、小さな保存用プラスチックチューブの中に入った、一ミリリットルほどのカルピスのような液体であった。
 むろん、わざわざフランスから輸入しなければならないほど、カルピスに飢えていたわけではない。確かに子どもの頃からカルピスが大好きだが、そこら辺ですぐに買えるものをフランスから送ってもらう理由にはならない。
 それは、顕微鏡で見なければならないほど小さな“微生物”が、うようよと大量に含まれている液体であった。あまりにも大量にいるために液体が濁り、あたかもカルピスであるかのような様相を呈していたのである(図1)。

 

図1 ラ・スコラ博士から届いたミミウイルス
(上)荷札 (下)ミミウイルス溶液が入った容器

 


 その“微生物”の名は、Acanthamoeba polyphaga mimivirus 。日本語で「ミミウイルス」とよばれる、文字どおり「ウイルス」であった。
 正確にいえば、ウイルスは微生物、すなわち生物ではない。生物ではないにもかかわらず、思わず“微生物”という言葉が出てきてしまうほどに、このウイルスは“特殊”な存在だった。じつはラ・スコラ博士は、この特殊なウイルスの第一発見者である。
 カルピスみたいで美味しそうだからといって、うっかり飲んでしまっては大変だ。ミミウイルスの宿主(しゅくしゅ:感染する相手の生物のこと)は、「アカントアメーバ」という文字どおりアメーバの仲間の原生生物だが、もしかしたら私たちヒトにも感染してしまうかもしれない。だからもちろん、飲むなんてことはしない。飲むのはミミウイルスではなく、むしろ固唾のほうだった。
 
 本書のテーマは、ウイルスである。
 多くの人の脳裏には、ウイルスといえばインフルエンザウイルスやコンピュータウイルスなどが思い浮かぶに違いない。どちらも、私たちの日常の生活に割り込んでくる厄介者というイメージだ。もちろんそれは間違いではなく、たとえばインフルエンザウイルスは、私たち人間に「インフルエンザ」とよばれる症状を引き起こし、ときには死をももたらす災厄であるし、コンピュータウイルスもまた、誤作動や個人情報流出などを引き起こす嫌われ者だ。
 ところが最近、そうした古来の常識的ウイルス観が、覆されようとしている。「ウイルス=厄介者」という考え方がきわめて狭い考え方に則っていたことに、研究者たちが気づき始めたのである。さらには現在、「ウイルス=地球生態系になくてはならない恩人たち」という構図もでき始めている。そのきっかけの一つとなったのが、ミミウイルスの発見だったのである。
 ミミウイルスが「特殊」であると述べたのは、それがのちに「巨大ウイルス」という名前でよばれることになる、従来のウイルスとは異なるさまざまな特徴・性質を備えていたからだ。
「巨大」とはいっても、それまで肉眼では見えなかったウイルスが、一気に肉眼で見えるほど巨大になったわけではない。あくまでも、「従来のウイルスに比べれば」の話である。とはいえ、その巨大さには大いなる意味があって、それこそがとてつもなく偉大な一面であったのだ。それではいったい、巨大ウイルスとはどういう者たちで、この地球生態系でどのような役割を演じてきたのか。
 本書は、巨大ウイルスたちの世界をまずは謙虚に見つめ直したうえで、そこから浮かび上がってくる生物世界の成り立ちに関するまったく新しい見方を、読者諸賢に提供しようとするものである。
 私はすでに、『新しいウイルス入門』(講談社ブルーバックス、二〇一三年)、『巨大ウイルスと第4のドメイン』(同、二〇一五年)という二冊の本を上梓しているが、もちろん本書はその焼き直しではなく、「つづき」でもない(図版の一部に共通するものはあるが)。これらの本では、巨大ウイルスの紹介と、そこから導かれる新たな生命論的な話をつづったわけだけれども、本書では、巨大ウイルスが私たちに問いかけているさまざまな「謎」を、重箱の隅をつつくようにつぶさに観察して、洗いざらいさらけ出そうと考えている。
「生物はウイルスが進化させた」という本書のタイトルからは、ウイルス=ラスボス的な、何となく恐ろしげなイメージが想起されるが、もちろん巨大ウイルスが私たち人類に対してとてつもなく悪いことをして、その結果世界を破滅へと導く、といった終末的な意味ではなく、ウイルス至上主義的な主張を意味してもいない。もしかしたら彼らは、ウイルスに対する考え方のみならず、私たちがこれまで培ってきた「生物」に対する見方、「生命」に対する見方を、根底から覆す存在なのではないか――、そういう意味であると思っていただきたい。
 まさにそれによって、「生物とは何か」「ウイルスとは何か」、そして「生物の進化とは何か」を問い直す「コペルニクス的な転回」を余儀なくされる、そんな存在こそが「巨大ウイルス」なのかもしれないのである。
 巨大ウイルスの発見を一つのきっかけとして、ウイルスという存在はこれまで私たちが認識してきたよりもきわめて奥が深く、また私たちには見えていなかった広大な世界を築き上げていることが明らかになりつつある。
 巨大ウイルスを含めた一部のウイルスは、そうした広大な世界の中で、ある一つの「ファミリー」を形成している。そのファミリーは、きわめて多様性に富み、膨大で、かつ私たち生物と密接に関係している。これはすなわち、私が前著で「第4のドメイン」として扱ったものであるが、それではなぜそのような巨大「ファミリー」が、これまで注目されてこなかったのだろう。なぜ私たちは、その存在に気づかなかったのだろう。じつに不思議な話である。
 いったい、巨大ウイルスとは何なのか。そしてそれは、私たち人類に、どのような思考の転回をもたらす可能性を秘めているのか。
 本書は、そんなに満ちた巨大ウイルスたちと、生物―すなわち、私たち自身――に関す
る、ちょいと不思議な物語である。
  
 ――巨大ウイルスの「ファミリーヒストリー」が、今まさに始まろうとしている。

武村政春(たけむら・まさはる)

一九六九年、三重県津市生まれ。一九九八年、名古屋大学大学院医学研究科修了。医学博士。名古屋大学助手等を経て、現在、東京理科大学理学部第一部教授。専門は、巨大ウイルス学、生物教育学、分子生物学、細胞進化学。著書に『DNA複製の謎に迫る』『生命のセントラルドグマ』『たんぱく質入門』『新しいウイルス入門』『巨大ウイルスと第4のドメイン』(いずれも講談社ブルーバックス)のほか、『レプリカ~文化と進化の複製博物館』(工作舎)、『DNAの複製と変容』(新思索社)、『ベーシック生物学』(裳華房)、『マンガでわかる生化学』(オーム社)など多数。趣味は書物の蒐集、読書、ピアノ、落語、妖怪など。

[B2010]

生物はウイルスが進化させた 巨大ウイルスが語る新たな生命像

武村政春

生命観が変わる! 進化とは何か? ウイルスはそれにどう関わったのか? 常識が覆る快感を味わう、極上の生命科学ミステリー。

定価 : 本体980円 (税別)

ISBN : 978-4-06-502010-4

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