現代暗号入門

現代暗号入門

神永正博(かみなが・まさひろ)

いかにして秘密は守られるのか

まえがき

もともと暗号は、軍事的な通信を秘匿するために作られた。長い間、我々の生活とは無縁なものだったが、今や暗号なしに生活するのは難しい。インターネットショッピング、携帯電話、Wi-Fi、ICカードはもちろん、ビットコインを始めとする暗号通貨も、電子署名とハッシュ関数という暗号技術でできている。

これほど暗号に依存しているにもかかわらず、技術の根本を理解し、最新技術に通じている者は驚くほど少ない。

 

暗号は数学技術の塊だ。だが、いわゆる純粋数学者が好むような格調高い領域ではなく、なんでもありの雑多な世界である。

この世界には、多種多様な蛮族が棲んでいる。出自もさまざまだ。数学出身者、電気工学を勉強していてたまたま暗号をやることになった者、名うてのハッカー、技術オタクのサラリーマン、政府諜報機関の役人、そして犯罪者。イーロン・マスクの誘いを断ったジョージ・フランシス・ホッツのような生きのいいハッカーもいる。暗号無政府主義者(クリプトアナキスト)を名乗るルイス・アイヴァ ン・クエンデは、スタンペリー社のスタートアップに携わり、ブロックチェーンテクノロジーで世界を変えようと目論む野心家だ。

暗号の開発者(ディフェンダー)と攻撃者(アタッカー)の応酬は、スポーツやゲームを思わせる。ディフェンダーが電子署名の処理を高速化するため、秘密鍵の一部を短くすれば、アタッカーは連分数で迎え撃つ。十分なランダム性を持たない乱数を、つい使ってしまったディフェンダー。アタッカーはそのわずかな隙も見逃さず、秘密素数を露わにする。またあるときは、ICカードの消費電力を統計処理にかけ、鍵を暴き出してみせる─。

なぜこんなことが可能なのか。例えば、連分数のような技術は数学から持ち込まれた。ランダム性の不足を見抜くには、ソフトウェアの知識が必要だ。消費電力の解析は電気の分野から。ICチップに格納された暗号の鍵を盗むため、マイクロサージェリーなる手術が行われることもある。これにはデバイスの加工技術が必要だ。

暗号業界は、様々なバックグラウンドを持った連中が発展させてきた。数学が100 メートル走だとするなら、暗号はいわばトライアスロン。複合競技なのだ。

 

ある数学者が言っていた。 「この間の国際会議では驚いたよ。新しい暗号を発表したら、ピラニアみたいに暗号学者が食いついてきて、次から次へと暗号の欠点を探し出してきてね」と。

暗号が発表された途端、その場で他の学者たちがプログラムを書き、解読し始める。即座に解かれた暗号すらある。それが暗号業界だ。

 

この業界はとにかく進歩が速い。いわば暗号戦争ともいうべき世界的競争は加速するばかりである。

本書の最大の特徴は、実際に使われている現代的な暗号技術の概略が書かれていることだ。リアルな脅威に対応するため、執筆中にも数十ヵ所のデータを差し換えた。

 

現代的な暗号の基本要素は、共通鍵暗号、ハッシュ関数、公開鍵暗号である。これらを組み合わせて、様々なシステムを構築する仕組みになっている。本書では、それぞれの部品の役割とそれらの利用法が、様々な実例を通じて明らかになっている。

難解なテーマであり、登場する数式も独特なものが多いが、数式が全て理解できなくても現代暗号のエッセンスはつかめるはずだ。高校2 年生レベル以上の数学知識(微積分はほぼ不要)があれば、十分に理解できるだろう。また必要なら、豊富な脚注と巻末注によって詳細を知ることもできる。暗号の初心者はもちろん、腕に覚えのある読者にも役立ててもらいたい。

 

暗号は面白い。頭脳で勝負する野蛮人のゲームを楽しんでいただけたら幸いである。

 

本書をまとめるにあたり、林優一氏(奈良先端科学技術大学院大学)、吉川英機氏(東北学院大学)の査読を受け、有益なコメントをいただいた。記して感謝したい。なお残る誤りは、全て筆者の責任である。

神永正博(かみなが・まさひろ)

1967年東京都生まれ。博士(理学)。東北学院大学工学部情報基盤工学科教授。日立製作所中央研究所研究員(ICカードの暗号技術の研究開発に従事)を経て現職。著書に、『「超」入門 微分積分』『直感を裏切る数学』『ウソを見破る統計学』(以上講談社ブルーバックス)、『Javaで作って学ぶ暗号技術』(森北出版)などがある。



[B2035]

現代暗号入門 いかにして秘密は守られるのか

神永正博

暗号の歴史は、隠す側と解読する側の熾烈な攻防の歴史だった! 現代社会を支える暗号の仕組みを、原理と実用の両面から徹底解説。

定価 : 本体980円 (税別)

ISBN : 978-4-06-502035-7

既刊一覧

連載読み物

生命1.0への道

第3回 ダークホースかもしれない隕石衝突

文 藤崎慎吾

 第2回の最後でお願いしたアンケートだが、回答数がまだ19件である。ブルーバ...

2018/01/11

ページTOPへ