『宇宙になぜ我々が存在するのか』

『宇宙になぜ我々が存在するのか』

著者 村山 斉(むらやま・ひとし)

最新素粒子論入門

はじめに

 私たちの体は物質でできています。それだけでなく、身のまわりにあるもの、地球、太陽などの恒星も物質によってできています。いわば、私たちは物質に囲まれて生きているわけです。この物質を細かく分けていくと原子に行きつきます。原子(アトム)とは、古代ギリシャに考えられていたアトモスに由来する言葉です。このアトモスというのはこれ以上分割することのできないものという意味で、原子が発見されたときは、物質をつくっている根源的な粒子という意味で、原子という名前がついたのです。
 でも、原子が根源的な粒子でないことはいずれ明らかになりました。原子を調べていくと、プラスの電気をもった原子核とマイナスの電気をもった電子で構成されていることがわかってきたからです。さらに調べていくと、原子核は陽子と中性子からできていて、その陽子と中性子はそれぞれ、三つのクォークでできていることがわかりました。その他にも、この宇宙をつくっている素粒子がいくつも見つかっています。
 このようにたくさんの素粒子の存在が明らかになってきたのと同時に、どんな物質にも、必ずそれに対応する反物質があるということもわかってきました。原子の中には電子や陽子などがありますが、そのような粒子にも必ず反物質があるのです。
 反物質は一九三二年に発見されました。アメリカの物理学者アンダーソンが宇宙線の中で見つけたのです。人類が初めて反物質をつくったのは一九三三年のことで、マリー・キュリーの娘夫婦であるジョリオ=キュリー夫妻が、電子の反物質である陽電子を生みだしました。そして、一九五五年にはカリフォルニア大学バークレー校で、大きな素粒子加速器を使って陽子の反物質である反陽子をつくることに成功しました。
 現在の素粒子理論によると、物質は、必ずその物質と対(つい)になる反物質と一緒に生まれます。これを対(つい)生成といいます。そして、物質と対になっている反物質が出合うと対消滅という現象が起こり、物質も反物質も消滅してしまいます。ただ、物質としては消滅してしまいますが、消えてしまった後には、物質と反物質の重さの分だけエネルギーができます。つまり、対消滅は物質や反物質の重さがエネルギーに変化する現象といえます。さらに、対消滅で生まれたエネルギーから、別の物質とその反物質のペアが生まれて、変化していくのです。
 物質と対になる反物質は必ず同じ重さですが、電気の性質が逆になります。物質がプラスだったら反物質はマイナスという感じです。私たちは、自分で自分の顔を見ることができません。お化粧するときなどは鏡を使って自分の顔を見ますが、鏡に映る顔は厳密にいうと、自分の顔そのものではありません。左右が反対になっているから、よく似ていますが、別のものということになります。
 物質と反物質の関係は、自分自身と鏡に映った自分の像の関係とよく似ています。鏡で映した世界のように、ある要素が反対になることを対称性といいますが、反物質の場合は、像が左右反対になるのではなく、電気的性質が対称になります。
 私たちがこの世界で目にするものはすべて物質でできています。アイスクリームもそうです。もし、反物質でできたアイスクリームがあったとしても、私たちは見た目で区別することはできません。反物質の光に対する特性は、物質とまったく変わらないからです。しかも、重さも同じなので、なかなか区別がつきません。
 ですが、その反物質のアイスクリームを手でもとうとすると、たいへんなことになってしまいます。私たちの体は物質でできているので、反物質でできているアイスクリームに触れてしまうと、そこで大きな対消滅が起きてしまいます。対消滅によって、手がなくなってしまいます。このような話をすると、ゾッとしてしまう人もいるかもしれませんが、対消滅が起きたときに、なくなるのが手だけだったらまだいい方かもしれません。
 皆さんは、アインシュタインが相対性理論から導いた有名な式をご存じでしょうか。E=mc2で表される式です。この式は、重さとエネルギーは同じもので、この二つは互いに変換できることを示しています。先ほど、物質と反物質がぶつかると対消滅して、エネルギーに変わるといいましたが、それはこのアインシュタインの式から導かれることなのです。
 この式の中でEはエネルギー、mは質量、つまり重さを表しています。そして、cは光の速度を表します。つまり、エネルギーと重さは交換することができるといっているわけです。しかも、質量にc(秒速約三億メートル)の二乗がかかりますので、ほんの小さな質量でも、それがすべてエネルギーに変わると莫大な量になることがわかるでしょう。
 物質の質量がすべてエネルギーに変わってしまったら、つまり、エネルギー効率が一〇〇パーセントだったとしたら、エンジンの中でガソリンを爆発させたときのエネルギーの約三億倍のエネルギーを生みだすことができます。つまり、同じ重さで比較すると、反物質と物質がぶつかると、ガソリンの三億倍のエネルギーが生まれるのです。
 この話だけを聞くと、反物質は夢のようなエネルギー源のように思えます。なので、反物質は、SFなどにたびたび登場します。アメリカのテレビドラマ『スタートレック』では、反物質はエンタープライズ号の燃料として宇宙船を飛ばしていますし、小説『天使と悪魔』では、一人の科学者が研究所の所長に気づかれずに、反物質を〇・二五グラムつくったというところから話がはじまっています。
 〇・二五グラムなんて、たいしたことはないではないかと思う人もいると思いますが、〇・二五グラムの反物質が、同じ量の物質と出合うと、広島の原爆と同じという、とても大きなエネルギーが発生します。私たちは身のまわりに反物質が存在しないおかげで、こうして平和に暮らしていられるわけですが、もし、まわりに反物質があったらたいへんなことになってしまいます。
 ただ、〇・二五グラムの反物質をつくるのに必要な金額を調べてみると、一兆円の一〇〇億倍という、これもまたとんでもない金額が必要になってしまうので、大学や企業などでつくることはほとんど不可能です。『天使と悪魔』では、これだけのお金を使っても所長が気づかないという設定でしたので、ものすごくたくさんの予算のある、とてもうらやましい研究所だと思います(笑)。

■物質は反物質より多く存在した!?
 ふだんの生活の中では、私たちが反物質に出合うことはまずありませんが、宇宙ではどうでしょう。実は、この広い宇宙空間を調べてみても、反物質はほとんど見当たらないのです。ですが、時間をどんどん巻き戻して、宇宙が誕生した直後まで戻してみると、反物質がたくさんあることがわかっています。
 宇宙誕生直後にビッグバンが起きて、たくさんのエネルギーが熱や光という形で放出されました。なので、私たちの宇宙はたくさんのお金を使わなくとも、反物質をたくさんつくることができました。反物質がつくられると同時に、物質もつくられますから、当然、物質もたくさんありました。初期の宇宙は、今よりもはるかに小さい空間の中で物質と反物質が混然一体となって、誕生と消滅を繰り返していたと考えられています。
 その後、宇宙はどんどん広がっていき、温度もだんだんと下がり、宇宙全体が冷やされていきます。その頃には、物質と反物質が出合う頻度は減ってきますが、出合うとエネルギーとなっていきます。一方で、新しい物質と反物質を生みだすエネルギーの密度が減っていくことで、物質・反物質のペアが生まれる頻度も少なくなっていきます。そのような過程を経て、宇宙初期に誕生した物質と反物質はほとんどなくなってしまったのです。
 実際、今の宇宙には反物質はほとんど見当たりません。ですが、物質はしっかりと残っています。星や銀河は宇宙の中で美しく輝いていますし、地球や月も存在します。地球の上には物質でできた私たちもいます。これはいったいどういうことでしょうか。
 実は、よくよく調べてみると、物質は反物質よりも数が多かったのです。計算してみると、一〇億分の二ぐらい物質の方が反物質よりも多くあったので、反物質が全部なくなっても、物質が残ることができたと考えられています。とはいうものの、物質と反物質はどんなときもペアで生成していたので、物質と反物質はきっちり同じ数だけ誕生していたはずです。そして、ペアでないと消滅できないので、反物質が存在していた数だけ物質も消滅したはずです。どちらか片方だけで消滅したということはないので、ふつうに考えればこの宇宙には何も残らずに、物質も反物質もない世界になるはずでした。
 でも、私たちはこの宇宙に存在します。これはもともと同じ数だった物質と反物質を、途中で誰かが反物質をつまんで、物質の方に移し替えたのではないでしょうか。そうでもしない限り、こんなことは起こりません。でも、そんなふうに都合よく、反物質が物質になるのでしょうか。
 これはまさしく、私たちにとって生きるか死ぬかの問題です。反物質はどうして消えてしまったのでしょう。実は、もしかしたら、この がもうすぐ解けるかもしれないのです。
 その を握っているのは、ニュートリノという小さな粒子だと考えられています。ニュートリノは調べれば調べるほど、不思議な性質をもっていて、暗黒物質やインフレーションと深く関わってくるのかもしれません。もしかしたら、私たちがこの宇宙に生まれることができたのも、ニュートリノのおかげかもしれないのです。それだけではなくヒッグス粒子やインフレーション、そして暗黒物質なども、私たちが生まれてくるために必要であったことがわかっています。今から、その を解いていき、どうして、私たちがこの宇宙に生まれたのかを考えていきましょう。

著者 村山 斉(むらやま・ひとし)

1964年東京生まれ。東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構(Kavli IPMU)の初代機構長、特任教授。米国カリフォルニア大学バークレー校物理教室教授。理学博士。東北大学大学院理学研究科物理学科助手、ローレンス・バークレー国立研究所研究員、カリフォルニア大学バークレー校物理学科助教授、准教授を経て、同大学物理学科MacAdams冠教授。専門は素粒子物理学。2002年、西宮湯川記念賞受賞。

連載読み物

さがせ、おもしろ研究!
ブルーバックス探検隊が行く

「お遍路の科学」で見えた「100歳で健康」のヒント

(取材・文 深川峻太郎) 四国のお遍路さんを科学するのだ! 編集部からこ...

2017/11/16

ページTOPへ