『分子からみた生物進化』

『分子からみた生物進化』

著者 宮田隆(みやた・たかし)

生物のたどってきた道

はじめに

 子供の頃、博物館で巨大な恐竜の化石を見て、その大きさに圧倒されて立ちすくんでしまったり、かつて地球上には一メートル近くにもなる巨大なトンボが空を飛び回っていたことを絵本で知って、昔の生物に驚きと興味を抱いたのは、きっと私だけではないであろう。似たような体験は誰もがもっていて、心のアルバムに大切に保管されていることだろう。生物の進化に興味を抱く人が多いといわれるが、こうした子供の時の体験が背景にあるのかもしれない。
 進化にはさらに重要なことがある。生物をよりよく知るには進化を理解することが大切なのだ。生物は歴史的存在なので、生物がなぜそういう形をもち、行動をとるのか、といった、"why"に答えようとすると、どうしても進化的視点に立って考えることが必要になる。〝なぜ〟キリンの首は長いのか、という問いに答えようとすると、祖先の首も長かったのであろうか、あるいは、祖先では首をなにに使っていたのか、といったことを知る必要がある。進化遺伝学の大御所テオドシウス・ドブジャンスキーは、「進化の視点がなければ、生物学の知識は意味をなさない」とまでいい切っている。進化を背景にもった生物学の重要性を説いた名言といえよう。
 生物の進化というと、まず生物の化石が思いつく。古生物学の研究者が石や土砂を丹念に取り除き、化石を取り出す作業をしている写真をよく目にする。過去に生きた生物の化石は進化を語る上で重要な直接証拠である。しかし、化石は容易に手に入るわけではないので、どうしても少ない証拠で進化を論じなければならない。このことが、議論の多い、専門家以外にはわかりにくい研究分野にしていた理由かもしれない。
 今から半世紀ほど前に、新しい進化の研究分野が誕生した。DNAや遺伝子あるいはタンパク質といった分子から生物進化を研究する、「分子進化学」と呼ばれる分野がそれである。なぜ、分子で進化の研究ができるのか? それは、現在生きている生物のDNAが、遺伝情報をもった分子であることは誰でも知っていることだが、同時に、進化の情報ももっているからである。よく知られているように、DNAは遺伝情報をもっ巨大分子で、その情報は四つの塩基、アデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)で書かれている。この四文字の並びは進化の情報ももっているのである。その意味で、DNAは「分子化石」と呼ぶことができる。
 進化を分子で考える利点は、進化を論じる上で必要な証拠が、生化学的手段で比較的簡単に得られ、かっそのデータには客観性があるということである。現在、さまざまな生物からたやすくDNAを取り出すことができるようになっている。今やわれわれは、三〇億もの塩基の並びからなる膨大な長さのヒトのDNAさえ解読する技術を手にしているのである。この分子化石から進化の情報を入手するのに、今ではそれほど特別な技術を必要としない。多くの場合コンピュータを利用する必要はあるものの、基本的には簡単であり、客観性がある。
 生物の進化といえば、すぐにダーウインを思い出し、『種の起源』という本と自然選択という単語が直ちに連想される。これほどの一般性はないが、分子進化といえば、木村資生博士と「分子進化の中立説」が直ちに思いつくまでになっている。目で見てそれとわかる形態レベルの進化は、ダーウインの自然選択説で説明されるが、分子レベルでの進化は「淘汰に有利でもなく、不利でもない、中立な変異が偶然に集団に広まった結果おこる」というのが中立説の主張である。
 この学説は、一九六八年に提唱され、激しい論争の末に、分子レベルでの進化の主要な理論として定着した。木村博士は一九八三年に、それまでの結果を集大成し、『分子進化の中立説』と題する本を出版した。この本は二〇世紀の進化学における金字塔の一つであろう。こうした偉大な業績が日本人の手によって成されたことは、同じ研究分野の一研究者にとって、大きな誇りであり、直接指導を受ける機会に恵まれたことは、幸運なことであった。
 分子進化学の誕生以来30年あまり経過した一九九四年に、分子進化の中立説を中心に、それまでの成果を一般読者にわかりやすく紹介することを目的に、筆者は、『分子進化学への招待』(旧版)を出版した。以来二〇年の歳月が経過したが、その間、分子進化学並びにそれを取り巻く分子生物学が大きな発展を遂げた。その結果、旧版の内容を大幅に変更する必要に迫られ、ほぽ全面改訂という形で本書を出版する運びになった。
 本書の第1章から第7章までの章で、主に分子進化の基本的な概念と分子進化のしくみについて解説する。第1章では、ダーウィンがいかにして進化に関する概念を獲得していったかをのべながら、ダーウィン以前から分子進化学までの歴史をざっと眺める。第2章から第7章で、なぜ、DNAには進化の情報があるのか。また、その情報はどうしたら引き出せるのか。分子のデータから、進化に関する議論をどう進めていくのか、実際の研究の現場でおきたことを示しながら、分子進化学的な考え方に慣れてもらうことが目的である。この部分は旧版と大きな変更はない。
 第8章から第14章までは、分子進化機構に関する最近の発展を解説した部分で、新しい章もあり、旧版にある章も新しい知見に基づいて大幅に変更している。第8章では、旧版以降に発表された重要なデータによって、「オス駆動進化説」が確立したことをのべる。そのため、内容をより詳しく紹介する。第9章では、近年新しい研究分野として発展したバイオインフォマティックスの基礎となった、コンピュータによる配列解析法をやや詳しくのべ、発見に至る道筋を紹介する。
 分子進化の中立説以来、分子レベルの進化は中立説で、目で見てそれとわかる表現形のレベルでの進化は自然選択説で説明される。では、二つのレベルの進化をどう橋渡しするか。木村資生博士は、「これは今後に残された重要な問題である」といい残している。第13章を中心に、第11章から第14章までの四つの章で、この間題を考える。
 およそ五億四〇〇〇万年前、カンブリア紀と先カンブリア時代の境で、斬新なデザインをもった多様な多細胞動物が爆発的に出現した。これは生物進化史上最大のイベントで、カンブリア爆発といわれている。筆者らは、この動物の爆発的多様化は、新しい遺伝子を作ることなく、すでに単細胞の時代に作られていた遺伝子を利用しておきたのではないかと主張する。第13章の終わりで、カンブリア爆発という表現形の大進化が、多細胞用の遺伝子を新しく「作る」(ハード)ことによってではなく、すでにあったものを「使う」(ソフト)ことで達成されたのではないかという、筆者らの「ソフトモデル」を紹介する。また、第11章から第14章までに紹介する例を使って、このモデルの拡張を試みる。
 第15章から第22章では、分子進化学のもう一方の大きな分野である、分子系統進化学を紹介する。ここでは、同じ分子系統進化学を扱った旧版の第2部を全面的に書き改めた。章によっては本書と旧版の間で一部重なる部分もあるが、そうした章でも新しい重要な知見が追加され、全体として新しくなっている。
 ダーウィンは生物の分類に対して革新的な考えをもっていた。ダーウィンは、生物の分類は生物の系統樹に基づいてなされるべきであると主張する。形の類似性だけで生物を分類すべきではないと彼はいう。系統的な近縁性の印として、形の類似性が生み出されるのだと。この考えに基づけば、ごく最近に寄生性の獲得によって体を単純化してしまった生物を、通常単純な構造をもつ古いグループに分類してしまう過ちを犯す危険を避けることができるだろう。
 さらにダーウインは、痕跡器官のような生理的に重要でない形質が、生物の真の類似性を教えてくれるはずだと考えた。現代的な表現をすれば、生理的に重要でない形質の変化は大部分〝中立的〟なので、異なる生物の間でこうした形質がよく似ているということは、共通の祖先から枝分かれして間もないことを意味するからである。
 こうしてダーウィンは中立的な変異に基づく系統樹の重要性を指摘した。そして、この系統樹から生物の分類がなされるべきで、形質の類似性に基づく分類の危険性を指摘した。なんという革新的な考えであろうか。まさに現代に通用する考えで、一五〇年も前にほとんど一人で考えついたとは、驚嘆のあまり言葉がない。天才は時間を超える。中立変異による系統樹の推定とそれに基づく分類というダーウインの夢は、図らずも一〇〇年後に分子進化学の誕生、とりわけ、分子系統樹推定法の発見によって叶えられたことになる。
 長い時間間隔で見ると、生物の進化は「単純から複雑へ」向かっておこる。しかし、この法則は常に成り立つとは限らない。たとえば、他の生物に寄生して生きる生物は、さまざまな器官・組織を失って単純な体になり、短時間でたくさんの個体を生じる。形態で見る限り、ダーウィンが警告したように、寄生性の生物は系統的にも分類的にも、古い生物として扱われる危険性がある。
 では、中立変異で推定される分子系統樹はどうか。ダーウィンが期待した通りの正しい推定が得られるのか。残念なことに、形態に基づく系統樹と同じように、分子系統樹も寄生性の生物を古い時代に枝分かれした生物グループとして誤って推定してしまう可能性がある。寄生性の生物は、短時間で多くの子孫を残すため、DNAに多くの変異を蓄積してしまう。それが、あたかも長い時間をかけてDNAに蓄積したと、誤った扱いをしてしまうことがあるのだ。「単純から複雑へ」という大原則に合致した結果が形態と分子の両面からの系統樹で得られることから、間違った確信へと導いてしまう。
 ここでは、生物進化のいろいろな局面でこうした問題に出会い、それらをいかに乗り越えてきたかということを中心に、生物進化の全歴史を分子系統樹にそって話を進める。
 最終章はわれわれヒトの進化の話だ。ヒトの進化の問題は分子系統進化学の誕生を促し、ヴィンセント・サリッチとアラン・ウィルソンによる霊長類の分子系統樹は、人類誕生の時期が五〇〇万年前という、衝撃的な結果で全世界を驚かせた。最近では、スヴァンテ・ベーボのグループがはじめてネアンデルタール人の化石からDNAを単離し、人類の分子系統樹に含めることに成功した。
 分子系統樹の特徴は、現在生存している生物から過去の生物がたどった進化の道筋が分かることにある。しかし、絶滅してしまった恐竜の進化は分子では分からない。その理由は、化石からはDNAが採れないからである。この常識に逆らって、ベーボらは化石からDNAを単離したのである。まさにベーボらは、古生物学と分子進化学の統合という名誉ある第一歩を記したことになる。第22章では、こうした最近の話題も含めて、これまでに明らかにされたわれわれの祖先の進化について紹介する。
 これまで、筆者は主に自身の研究グループの研究者や大学院生の方々と共同で研究を進めてきた。こうした多くの方々の協力なしには、旧版も含めて、本書はありえなかった。本書は研究グループを代表して筆者が書いたもので、材料となった研究成果は、グループの多くの方々との共同研究から生まれたものである。
 最後になったが、本書を書くにあたって多くの方々にお世話になった。長谷川政美博士、安永照雄博士、岩部直之博士、隈啓一博士、星山大介博士、加藤和貴博士には、多くの有益な助言をいただいた。講談社の堀越俊一氏には本の執筆を勧めていただいた。また、講談社の小澤久氏、能川佳子氏には終始、色々なことでお世話になった。これらの方々にあらためてお礼を申し上げたい。
平成25年冬 京都にて

著者 宮田隆(みやた・たかし)

一九四〇年東京生まれ。理学博士。分子進化学を専攻。一九七三年九州大学助教授に着任後、物理学から生物学に転向。京都大学教授を経て、現在同大学名誉教授。日本遺伝学会木原賞、木村資生記念学術賞を受賞。著書に、『DNAからみた生物の爆発的進化』(岩浪書店)をはじめ、多数。

[B1849]

分子からみた生物進化 DNAが明かす生物の歴史

著:宮田 隆

いまだ多くの謎につつまれている生物の進化。化石には残らない進化の情報が、突然変異としてDNAに刻まれている。DNAが明かす進化の謎。

定価 : 本体1,260円 (税別)

ISBN : 978-4-06-257849-3

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