世界はなぜ月をめざすのか

世界はなぜ月をめざすのか

著者 佐伯和人(さいき・かずと)

月面に立つための知識と戦略

はじめに

 ほとんどの日本人は、いま「世界の多くの国々が月をめざしている」ことを知らないのだ――私がそれを思い知ったのは、2013年末のことです。
 2013年12月14日、月着陸探査機「嫦娥(日本語読みは「じょうが」)3号」が中国で初めて、世界で3番目の月着陸に成功し、さらに無人探査車を活動させました。私たち月科学者は、このことが日本のニュースでも大きく報道され、国民のみなさんの関心が月に向かうことを楽しみにしていました。
 しかし、意外にもニュースではほとんど取り上げられず、大変がっかりしました。また、インターネット上では「中国が月着陸に成功したらしいね」「でもそんなの、アメリカのアポロ計画で50年近く前に行われていることじゃないか」「そうそう。いまさら月探査・月着陸なんて、大したニュースじゃないよ」といったみなさんの感想を多く目にしました。
 本書を手にされているあなたも、「月探査」に対して、同じような思いを抱いているのでしょうか。だとしたら、あなたはアメリカの巧妙な広報作戦に、まんまと引っかかって、だまされているのかもしれません。巧妙な広報作戦とは何か、なぜアメリカはそんなことをするのか、それは本書の中で説明しましょう。
 日本人の多くの方がご存じなく、国内では大きなニュースにもなりませんが、いまや世界は「月探査ブーム」を迎えています。それは1990年代なかばから始まり、次第に加速しているのです。アメリカやロシア、中国は着々と月探査計画を進め、毎年のように新たな探査機が月に送り込まれ、画期的な科学データが続々と公開されています。ヨーロッパやインドなど、それに追随しようとする国も多数あります。もちろん日本も、大型月探査機「かぐや」の成果で着実に月探査先進国の仲間入りをし、次なる月探査・開発戦略を模索しています。
 では、各国はいまなぜ、月に向かっているのでしょうか。
 答えを申し上げる前に、数年前にアメリカ航空宇宙局(NASA)のあるプレス発表が、世界中の月関係者をうならせたという「事件」を紹介しましょう。
 NASAは「月面史跡保護ガイドライン」なるものを定めています。これは、月面でのアポロ計画の着陸地点などを、NASAが「歴史的遺産」として定め、周辺地域と上空を立ち入り禁止にするという指針のことです。2012年5月には、月面探査の賞金コンテストを実施しているアメリカの非営利団体「X賞財団」と、指針内容を尊重することで合意したというプレス発表がありました。史跡保護の観点からできた指針ではありますが、この指針は月着陸機のまわりを実質的に占有できる、いわゆる「実効支配」できる道を開いたのです。
 月着陸機の周辺を実効支配したからといって、たいした問題はないと思われるかもしれません。しかし、まったく逆で、これは大問題です。近年の月探査によって、月の開発すべき「よい場所」が次々と判明していますが、その場所はきわめて限られた面積しかないことも明らかになってきています。着陸機1機で実効支配できるエリアに、すっぽり収まってしまうような地域も存在するのです。
 NASAのプレス発表が衝撃的だったのは、月を開発し、月を「支配」しようという、各国の激しいつばぜり合いが水面下ですでに始まっていることが、明らかになったためでした。つまり、世界各国は本気で月を「開発」し、月の「資源」を利用しようとしている、だからこそ月に向かっているのです(ちなみに、月の「資源」とは何かは、本書の重要なテーマです。地球における資源の考え方は、月や宇宙では通用しないのです)。
 では、日本はこれから、どうすべきなのでしょうか。
 それは、本書を読んで、みなさんに考えていただきたいことです。
 本書は、みなさんに「日本の将来の月探査・月開発を、そしてその先の宇宙開発を、どうするべきか」を考えていただくために、日本の次期月探査計画の策定に関わっている私が、月の科学と月探査計画の最新情報を、可能な限り開示して書き上げた本になります。
*  *  *
 でも、こんなことを思う方も、少なくないかもしれません。
「宇宙のことなんて、私の生活には直接関係ないし、日本の将来の宇宙開発のあり方を決めるなんていうのは、どこかの偉い人がやってくれればいいんじゃないの?」
 確かに以前は、そうだったかもしれませんね。でも、いまはもう違います。
 2011年、日本で、世界でも類を見ない空前絶後の宇宙探査ブームが起きました。ご存じの「はやぶさ」ブームです。数々のトラブルを克服しながら2010年に地球に帰還した小惑星探査機「はやぶさ」の人気はとどまることを知らず、「はやぶさ」を題材にした映画が同時期に3本も公開されるという加熱ぶりでした。そしてその熱狂が、今年(2014年)末に打ち上がる予定の「はやぶさ2」計画を後押ししたのです。
「はやぶさ2」のスタートは、本当に衝撃的でした。一般のみなさんの世論によって、検討中の計画が正式な計画へと一気に昇格していくさまを、私たち科学者は初めて目の当たりにしたのです。たった一つの宇宙探査で、日本国民がこれほどまでに盛り上がったこと、そしてその盛り上がりが、次の宇宙探査の方向性を決めるのに大きく影響したことも驚きでした。宇宙探査の価値を国民のみなさんが実感し、次の探査の方向性を国民みずからが要望し、かつ実現したという、世界にも類を見ない画期的な出来事が起きたのです。
 つまり、いまや「国民の国民による国民のための宇宙探査計画」をつくる時代が始まったのです。すごい時代になったものです。そして、それは私にとって、大変嬉しいことです。
 現在、日本では、月探査のロードマップ(計画表)を再構築する作業が始まっています。まもなく、関係する多くの学会で大議論が始まります。すでに、一部の先行報道を聞かれている方もいらっしゃるはずです。やがて、国民のみなさんの意見を必要とする時期がやってくるでしょう。いや、むしろ、みなさんの意見を取り込むしくみをきちんと整備しなければならないと、私は考えています。
 月は宇宙の入り口であり、私たちはいま「宇宙大航海時代」の渚にいます。その「最初の寄港地」である月をどう探査・開発していくのか、日本が今から行う決断が、今後100年、200年にもわたって、日本の宇宙での立ち位置を決めると私は考えます。
「世界の大勢に、あるいはアメリカに、ついていけばいいよ」という、そんな安易な決め方をしてはいけません。むしろ、世界の月探査・月開発をリードしていくために、そうした施策を打ち出せる国になるために、みなさんに月の科学と、月の何を、どのように探査するのかについて深く知っていただきたいのです。世界をリードできる主張と技術をもつ国だけが、世界から相手にされ、国際プロジェクトにも加えてもらえる、それが月科学者としての私の実感です。
 本書を読んで、月科学者が月の何に対してどきどき・わくわくしているのか、それを知って、感じてください。そして、ぜひ、日本の宇宙探査計画を左右する国民の一人となってください。いま、日本の宇宙戦略を月に向けるべきか否かの最終判断は、みなさんに託されているのです。

著者 佐伯和人(さいき・かずと)

一九六七年愛媛県生まれ。東京大学大学院理学系研究科鉱物学教室にて、博士(理学)取得。専門は惑星地質学、鉱物学。ブレイズ・パスカル大学(フランス)、秋田大学を経て、現在、大阪大学理学研究科宇宙地球科学専攻准教授。JAXA月探査「かぐや」プロジェクトの地形地質カメラグループ共同研究員。次期月探査SELENE-2計画着陸地点検討会の主査を務めるなど、複数の将来月探査プロジェクトの立案に参加している。

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