ぼくたちはなぜぼくたちだけなのだろう

文 川端裕人

監修 海部陽介(国立科学博物館 人類史研究グループ長)

かつて地球上には、ぼくたちと同じ「人類」の仲間がたくさんいた。彼らはなぜ滅んでしまったのか?
なぜぼくたちだけが生き残ったのか?
人類進化のホットスポット、アジアの化石発掘現場から始まる壮大な謎解きの旅!

(画像提供:国立科学博物館)

第18回 「歯の縮小」はアフリカより先だった

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海部先生の研究室で「原人」を考える

 原人というのは、およそ200万年前に登場し、つい最近(おそらく数万年くらい前)まで命脈を保っていた、ぼくたち(ホモ・サピエンス)とは別の人類で、人類史上はじめて「出アフリカ」を果たしてユーラシア大陸に定着した人たちだ。
 新人(現生人類)であるホモ・サピエンスから逆算して見ると「原始的」ではあるが、すでに長距離を踏破できる直立二足歩行を身につけていたり、脳容積が増大していたり(後期には最大で現生人類の85%!)、咀嚼器官が縮退していったりして、今生きているぼくたちが感じる「人間らしさ」を増していった。道具(石器)をよく使い、200万~100万年前の「主役」といえる存在でもあった。
 こういったことは、たぶん教科書レベルで語ってよい「事実」だ。

 では、そういった原人について、21世紀のサイエンスは何を問題にして、突き詰めようとしているのだろう。1990年代、まだ学生だった頃に海部陽介さんが出会い、現在も探究を続けているジャワ原人の研究から、人類学の最先端を垣間見たい。
 ジャワ島は100万年以上にもわたって継続的に原人の化石記録をたどることができる稀有な場所だ。世界の原人研究の中心地の1つと言ってもよい。海部さんは産出した多数の化石を、網羅的、横断的に見ていくという手法で、次々と新たな事実を明らかにしている。
 前回(第17回)までに引き続き、国立科学博物館の筑波研究施設・総合研究棟にある海部さんの「研究室」で、じっくりとお話を伺った。

「デビュー作」となった2つの論文

 そもそも海部さんは、どんなふうにしてこの世界に入ってきたのだろうか。まずは、そこから聞いてみる。
「科博(国立科学博物館)の上司だった馬場悠男先生に、初めてジャワ島に連れていってもらった1994年がきっかけです。その後、少しずつ研究をはじめて、最初の成果をまとめて出したのが2005年。それがジャワ原人に関するデビューみたいな論文になりました。実は、ちょっと前にだいたい成果はまとまっていたんですけど、論文を出すまでに時間がかかっちゃって」

海部さんは、みずから「デビュー作」と位置づける論文よりも前の2003年に、上司だった馬場悠男さんやインドネシアのアジズ博士などと一緒に、サンブンマチャン4号(Sm 4)という頭骨の重要な論文を『サイエンス』誌に発表しているが、それは第一著者としてではなかった。
 海部さんの「デビュー作」となったのは、2005年の2つの論文だ。

「サンギランから産出した人類の下顎骨化石:1952-1986年の出土標本」
「ジャワ島前期更新世の人類の進化史と分類学的位置:歯と顎の証拠」

 ともに、アメリカ形態人類学誌(American Journal of Physical Anthropology)という、この分野でトップの専門誌に連続掲載された。前者はそれまでくわしい研究がなされていなかった化石の報告、後者はそれらと他の化石を合わせて、初期のジャワ原人進化について新しい見解を提示したものである。

 ジャワ原人の化石は、標本数が多いにもかかわらず、これまで総合的な研究がされていなかった。そこで、とくに数の多い下顎骨と歯に集中して、見つかっている化石を網羅的に調べ、さらに中国やアフリカのホモ・エレクトスとも比較したというわけだ。

 この論文を見せていただいたとき、「そりゃあ、時間がかかるよなあ」という感想を持った。海部さんは、ぼくの印象では完璧主義者だ。きっちりと証拠を積み上げて、考えられるかぎりの議論をつくして論文を仕上げたいタイプ。その傾向はデビュー作からして、いきなり極まっていた。
 では、ジャワ原人の顎と歯の研究から、何を解き明かそうとしたのだろう。

ジャワ原人も変化していた!

「まず、インドネシアのジャワ原人というのは、それまでは、ずっとあまり進化せずに停滞していたと思われていたんです。アジアは停滞していて、アフリカはどんどん先へ行った、そういったようなイメージでした。ひとつの原因は、ジャワ島から出た化石がこれだけあっても、どれがどの時代のものなのかあまりわからなかったんですね。でも、ちょうど御茶ノ水女子大学で年代を研究している松浦秀治教授のグループの研究成果が出てきて、その問題が解決されようとしていたので、それを使って時代とともに化石がどう変わっていったのかを見てみようと。変わっているとしたら、どこがどのように変わったのかを知りたかったわけです」

 ジャワ原人の化石の年代を特定することが難しいということは、以前(連載11回)にも書いた。日本のお家芸である火山灰編年の手法で「年代観」を示した先駆的な業績が、日本とインドネシアの合同隊によってもたらされたのが1980年代。御茶ノ水女子大学のグループはその後も調査を続け、さらに精緻な年代観を示した。

 一方で、海部さんは、これまでだれも試みたことがないほど網羅的にジャワ原人の化石を見る機会に恵まれ(写真1)、また、それらを徹底的に検討する意欲と技術を持っていた。
 それぞれの化石ごとの年代が特定できれば、時代変化を見ることができる。まさにそれは人類学的な関心としても、ど真ん中ストライク!なテーマだ。

写真1 海部さんが分析に使ったジャワ原人の顎と歯の化石の一部

 では研究の結果、どんな結論になったのだろうか。
「まず、ジャワ原人も実は変化しているんだというのが、ひとつの大きな発見でした。サンギランでの数十万年だけでも、かなり大きく変化している。とくに歯のサイズが劇的に変わっているんです。ちょっとお見せしましょう(写真2)。古いやつ(左)はこんなふうにゴツい歯がついているんですけど、こっち(右)は上のほう、つまり新しい地層から出た上顎の歯。一目瞭然でしょう。
 これぐらい劇的に変わっていて、新しいものはもう、現代人の変異幅に入ってきちゃうぐらいなんですね。現代人の歯の大きい人ぐらいの大きさに縮小しちゃっているわけです」

写真2 サンギランで見つかったジャワ原人の下顎骨化石
左はサンギラン9号(約100万年前)、右はBp810(約80万年前)。左の古い化石のほうが、歯が大きく、顎骨も頑丈なことがわかる

 海部さんの研究室でお話ししているので、重要な化石の模型をひょいっと取り出して、手にとらせてくれる(写真3)。サンギラン9号の古い下顎にくっついている歯は、ごろんごろんとした大ぶりのものだが、新しい地層から出たほうの上顎についた歯は、たしかに、ぼくたち(現生人類)の中でもこれくらいの歯の人はいそうな感じだ。
 これが、時代的に「連続して変化している」というのが、大きな発見だ。
 ジャワ原人だって変化している! と大きな声で述べていい。それまでは「停滞して変わっていない」と思われていたのだから。ましてや「咀嚼器官の縮小」は、人類進化のひとつの方向性として重視されている指標だ。

写真3 海部さんの研究室にある世界各地の原人の顎と歯の複製模型コレクション。ここからひょいと取り出して説明してくれた。

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文 川端裕人

かわばた・ひろと 1964年兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。東京大学教養学部卒業。日本テレビ在職中に『クジラを捕って、考えた』を執筆、文筆デビュー。1997年よりフリーランス。小説作品に『銀河のワールドカップ』『星と半月の海』、ノンフィクション作品に『動物園にできること』など多数。最新刊は、一線の宇宙論研究者との共著『宇宙の始まり、そして終わり』(日経プレミアシリーズ)、駆け出し声優のお仕事小説『声のお仕事』(文藝春秋)、『青い海の宇宙港(春夏篇・秋冬篇)』(早川書房)など。

メールマガジン「秘密基地からハッシン!」(http://yakan-hiko.com/kawabata.html)を配信中。

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