ぼくたちはなぜぼくたちだけなのだろう

文 川端裕人

監修 海部陽介(国立科学博物館 人類史研究グループ長)

かつて地球上には、ぼくたちと同じ「人類」の仲間がたくさんいた。彼らはなぜ滅んでしまったのか?
なぜぼくたちだけが生き残ったのか?
人類進化のホットスポット、アジアの化石発掘現場から始まる壮大な謎解きの旅!

(画像提供:国立科学博物館)

〔フローレス篇〕第8回 ソア盆地にて

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そこで、何かが起きた

「そろそろ動きがありますよ」と海部さんは言う。
 でも、その内容はまだぼくは聞いていないし、あえて聞かない。 人類の新しい化石は非常に注目されるため、論文になって公になるまでは、その内容はもちろん、発掘されたという事実すら口外できないことが多い。画期的な発見であればあるほど、そうなる。

 2016年3月。ぼくが取材のためにフローレス島のソア盆地の発掘現場に向かう直前、海部さんは予備知識として、とりあえず「動きがあった」ことだけは教えてくれた。
 ソア盆地からは、古いものでは100万年前の石器がたくさん出てきており、それらを作った人たちの化石が見つかっても不思議ではなかった。化石が見つかれば、フローレス原人の起源がわかるかもしれず、大きな反響を呼ぶことは確実だ。
 結局、その「動き」についての報告は、ぼくが現場を訪問した3ヵ月後、ネイチャー誌に掲載されたのだが、そこに立ち入る前に、ぼくが訪ねたソア盆地の発掘現場の様子を概観しておこう。

 フローレス島はインドネシアの島弧をなすスンダ列島の東端に近くにある。スマトラ島、ジャワ島、ボルネオ島ほど巨大ではないものの、そもそもこのあたりはあまりに大きな島が連なっており、比較の対象が悪い。実はフローレス島も、かなり大きな島だ(図1)。
 東西の長さが350キロメートル、東京・名古屋間に相当するくらいの距離がある。面積も1万3500キロメートル程度。四国よりは小さいが、沖縄本島以上だ。地図の上で見るかぎり、スマトラ島やボルネオ島、スラウェシ島などに圧倒されて存在感は薄くなりがちだが、実際に訪れてみると「大きな島」という印象が強くなる。

図1 フローレス島全図

 

 フローレス原人が発見されたリャン・ブア洞窟は、島の西端近くにある。一方、ソア盆地は、島の中ほどに位置する。最寄りの中心都市はバジャワ。
 リャン・ブア洞窟とソア盆地の間は、直線距離だとせいぜい70~80キロメートルなのだが、あいだの道路があまりよくないため、一度、ラブアンバジョに戻って空路でバジャワに向かった。

 飛行機の窓からの景色は、エメラルドグリーンの海に浮かぶ群島だ。アーシュラ・K・ル=グウィンのファンタジー『ゲド戦記』の舞台である多島海(アースシー)を想起させる。海から空港へと近づいていくとき、火山に囲まれた盆地がくっきりと見えてくるのも忘れがたい光景だ。
 現在、ソア盆地で発掘を行っているインドネシア・オーストラリア隊(ニューサウスウェールズ州のウーロンゴン大学が中心)のベースキャンプは、空港から車で20分ほど走ったメンゲ・ルダ村にある。そこから現在の調査地マタ・メンゲまでは、徒歩で40分ほど。ただしこれは「健脚」が前提のタイムで、ぼくがカメラ機材を背負って歩いたところ、軽く1時間はかかった。

 途中の風景は、やはり日本にも通じる水田が広がっていた。斜面が急なところには棚田が作られており、その一方で、定期的に草を刈られている管理された草原も多かった。馬が草を食(は)む草原と、水が張られた水田のパッチワーク、というのがこの地域の基本的な景観だ。
 それに加えて、遠景には火山。
 富士山のような美しい稜線を持つ火山が、周囲にはいくつもあった。最初はなだからな地平線のように思っていた部分も、よくよく見れば低山の峰が連なっている。ここが「盆地」であることを実感する。人が多く住んでいるのは数百平方キロメートルくらいのエリアで、標高が高くなるとともに草原が増えていく。そう説明を聞いて、村から発掘現場までへの道が、まさに斜面をだらだら登り続けるものだったと気づいた。
 やがて、風上からカンカンとハンマーをタガネに打ちつける音が響いてきた。マタ・メンゲの「サイト32」。現在進行形の発掘の現場が、目前にあった。

火山を背景に棚田が広がる日本的なソア盆地の風景(筆者写す)

 

70万年前の原人化石が発見されたソア盆地のマタ・メンゲ。手前のテントで覆われている場所がサイト32の発掘区(筆者写す)

 

衝撃の発掘現場

 草原地帯の緩やかな斜面を少し切り崩し、数十万年前(80万年前から65万年前といわれている)の地層をむき出しにして、露天掘りしている。上にブルーシートを張って日差しをしのいでいるものの、基本的にはとても蒸し暑い現場だ。

 調査隊の面々には、見知った顔があった。サンブマンチャンで、インドネシア側の調査隊を束ねていたイワン・クルニアワン博士や、ムードメイカーで日本に留学経験があるエリック・セティヤブディ博士もいて、「やあ、久しぶり!」という再会になった。現場リーダーは、ウーロンゴン大学で学位を取ったはかりのルーリー・セティアワン博士。彼らは、ジャワ島バンドンにある地質博物館の所属であり、さまざまな局面で海部さんとチームを組む関係だ。

 彼らとの再会のやりとりを終えて、発掘現場に足を踏み入れた。
 衝撃に打たれた。
 これはなんだ。化石があちこちに顔を出しており、どこから見ていいのか、わからない。とくにゾウの骨が目立つ。いくら矮小化しているとはいっても、十分に大きい。地面から露出した部分を石膏のジャケットで保護された長い牙や、大きな歯が、さりげなく、当たり前のように、そこかしこにあって、それも一個体や二個体のものではない。
 水で押し流されたものが堆積しているので、関節した形で出てくるものはほとんどない。だから、正確に何個体というふうには数えられないものの、牙の数から「少なくとも数個体分」とは言えそうだった。

次々に化石が見つかり、活気にあふれるサイト32での発掘作業(筆者写す)

 

小型化したゾウの牙の化石。石膏のジャケットで保護されている(筆者写す)

 

 大きさを強調した端からなんだが、これがゾウだと思ってみると、やはり小さい。島の環境では、ボディサイズを大きくするより、むしろ小さく代謝量を落とし、繁殖サイクルを短くできたほうが有利だったと説明されるが、ゾウがここまで小さいのはどことなく承服しがたい。しかし、事実なのだ。日本にもかつていろいろなゾウがいたけれど、大陸と地続きではなかった1600万年前頃のステゴロフォドンというグループは、かなり小型化していた。フローレス島ほどではないにしても。

 とにかく小さいながらも、立派な牙を前に突き出すように生やしたゾウがここにいた。その姿は、愛らしくも威厳に満ちたものだったろう。フローレス島の古い人類が生きていた時代を特徴づける重要なアクターだ。
 その頃の人は、このサイズのゾウなら狩ることができただろうかと気になる。直接証拠はなにもないけれど、少なくとも、倒れたものを食べるくらいのことはしていただろう。同じ地層からよく石器が出てくるというのも、示唆に富む。

「ほら、こういうのも出るよ」と現場で地元の人たちを指導していたエリックが見せてくれた。
「ジャイアントラットの歯。それから、ドラゴンの歯だ」
 ラットの歯といえば、細長い前歯が印象的だが、出てきた化石は臼歯だ。小型の哺乳類や鳥類、爬虫類は大型化するのが島嶼化の一般則で、小型のラットはこの一般則のとおり大型化している。フローレス島の古い人類にとっては、ちょうど手頃な獲物だったろう。リャン・ブアの洞窟からもジャイアントラットの化石はよく出てくるそうだ。

大型化したラット(ジャイアントラット)の歯(筆者写す)

 

ゾウの歯の化石(筆者写す)

 

 そして、ドラゴン!
 この島でドラゴンといえば、コモドオオトカゲのことだ。今でも隣のリンカ島やコモド島に生存しており、大きくなると体長3メートル級の個体もいる。現生人類、つまり、現地の人や観光客が被害にあうこともあるくらいで、古い人類にとっても脅威だっただろう。
 そのドラゴンの歯は、指先サイズで、それほど大きくはない。それでも、肉食恐竜やサメと同じようなセレーション(ギザギザ)があって、やはりドラゴンの名に相応しい。

発掘されたドラゴンの歯(筆者写す)

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文 川端裕人

かわばた・ひろと 1964年兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。東京大学教養学部卒業。日本テレビ在職中に『クジラを捕って、考えた』を執筆、文筆デビュー。1997年よりフリーランス。小説作品に『銀河のワールドカップ』『星と半月の海』、ノンフィクション作品に『動物園にできること』など多数。最新刊は、一線の宇宙論研究者との共著『宇宙の始まり、そして終わり』(日経プレミアシリーズ)、駆け出し声優のお仕事小説『声のお仕事』(文藝春秋)、『青い海の宇宙港(春夏篇・秋冬篇)』(早川書房)など。

メールマガジン「秘密基地からハッシン!」(http://yakan-hiko.com/kawabata.html)を配信中。

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