ぼくたちはなぜぼくたちだけなのだろう

文 川端裕人

監修 海部陽介(国立科学博物館 人類史研究グループ長)

かつて地球上には、ぼくたちと同じ「人類」の仲間がたくさんいた。彼らはなぜ滅んでしまったのか?
なぜぼくたちだけが生き残ったのか?
人類進化のホットスポット、アジアの化石発掘現場から始まる壮大な謎解きの旅!

(画像提供:国立科学博物館)

第5回 ミッシング・リンクへの夢

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「はじまりの場所」にて

川の対岸にある試掘跡まで渡してくれた船頭さん(筆者写す)

 ジャワ原人発見の石碑がある崖の上から、細い道をたどって川岸に降りた。試掘坑は対岸だ。砂を採っている人たちに頼むと、渡してくれるという。例によって、河床を長い竹の棒で突いて進む。子どもたちが水浴びをしたり泳いだりしているところを横切って、少し流れが速くなっているところは船頭さんが胸まで水に浸かって、平底船を引っ張った。
 その間、ほんの数分。
 ぼくは、本当にあっけなく、かつての試掘跡の上に立った。

 細いあぜ道のような部分で区切られた長方形の区画がいくつかあり、水面より上に出ているところには、くっきりと地層の縞々(しましま)が見えている。長方形の内側には水がたまっているので、まるでプールみたいだ。子どもたちが飛び込んでみせたから、きっとそこそこ深い。

試掘跡にくっきりと浮かび上がっていた地層(筆者写す)

 2人の工兵が指揮し、数十人のインドネシア人が10年にわたって働く。なんという発掘の規模だろう。
 オランダは300年以上にわたってインドネシアを植民地としており、19世紀末から20世紀初頭には現在のインドネシアのほぼ全土を手中に収めていた。植民地経営全体から見れば枝葉末節かもしれない「ミッシング・リンク」の探索に、それだけのリソースが割かれていたのである。
 発掘が行われた1890年代は、日本でいえば明治時代である。第1回衆議院選挙が行われたり(1890年)、はじめての日刊新聞である東京日日新聞、のちの毎日新聞が発足したり(1892年)、近代化のきざはしをのぼりつつあった時期だ。デュボアが論文を出版した1894年には、日本は日清戦争に突入している。
 今となってはすべて歴史の教科書の中の世界である。
 ここトリニールでも、デュボアの発見はすでに歴史の中の一コマだ。

試掘跡に腰かける筆者

 それ以来、ここで起きたことの中で、「ぼくたち」、つまりこの本の想定読者である日本語話者にも密接に関連する事項としては、1942年から45年にかけて、インドネシアが日本の占領下にあったことが挙げられる。今でも、そのときのことを覚えているお年寄りは存命だから、こちらはまだ生きた記憶の世界。
 世界史の最初の何ページかで描かれる、旧石器時代やら、原人やらの記述を越えて、歴史は絡まり合っている。かつてデュボアも立ったはずの「あぜ道」から周囲を見渡し、一挙にさまざまな想いが去来した。

 そして、あらためて足下を見た。
 露出している地層は、くっきりとしている。
 でも、ぼくにはなにがなんだかわからないただの「縞々」である。どれくらい前のものとか、どんな成因だとか、まったく知らない。それらは、これから学ぶべきことだ。トリニールという「はじまりの場所」に来たことで、ひとつひとつ積み重ねて理解していこうという思いを新たにする。

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文 川端裕人

かわばた・ひろと 1964年兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。東京大学教養学部卒業。日本テレビ在職中に『クジラを捕って、考えた』を執筆、文筆デビュー。1997年よりフリーランス。小説作品に『銀河のワールドカップ』『星と半月の海』、ノンフィクション作品に『動物園にできること』など多数。最新刊は、一線の宇宙論研究者との共著『宇宙の始まり、そして終わり』(日経プレミアシリーズ)、駆け出し声優のお仕事小説『声のお仕事』(文藝春秋)、『青い海の宇宙港(春夏篇・秋冬篇)』(早川書房)など。

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