5年後の浜辺──復旧事業は生態系をどう変えたか

永幡嘉之

東北の自然に魅せられ、生きものたちを撮りつづけてきた写真家は「あの日」から、巨大津波が生態系に何をしたかを追いつづけた。彼が目にした絶望と希望は、2012年4月に『巨大津波は生態系をどう変えたか』において報告された。しかし、東北の生態系はその後、彼が予想もしなかった方向へと変容をとげていた。
5年後のいま、「真の復興」とは何かを問う短期集中連載。

巣立ち後まもないオオタカ

第3回 消えた渡り鳥

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砂浜に残った生態系

 (1)カワラハンミョウ(宮城県東松島市 2012年7月)

 

 津波の跡で生き残ったカワラハンミョウ(1)を糸口に、砂浜の生態系を眺めてみよう。
 カワラハンミョウは肉食で、他の昆虫などを食べる。幼虫は砂地に巣穴(2、3)を掘り、近くを通りかかった獲物を穴に引きずり込んで食べるのだが、実際に何を食べているのかを現地で明らかにすることは難しい。東松島市の砂浜でカワラハンミョウを追跡していたところ、メスの成虫が、ヒョウタンゴミムシと思われるゴミムシ類の幼虫を見つけるなり捕食した(4)。そのヒョウタンゴミムシも、成虫はやはり肉食で、他の小さな生きものを食べる。
 

(2)カワラハンミョウの幼虫の巣穴(宮城県仙台市 2011年8月)

(3)幼虫は45㎝程度の深さのところに多かった(東松島市 2012年6月)

(4)ゴミムシ類の幼虫を食べるカワラハンミョウ(東松島市 2012年7月)

(5)砂浜に特有のキヌゲハキリバチ(仙台市 2012年9月)

 砂浜は暑くなるため、日中にはカワラハンミョウ、それにキヌゲハキリバチ(5)など一部の例外を除き、生きものの気配はごく少ない。
 しかし夜になると、砂に潜って暑さを避けていた生きものが次々に這い出してくる(6)。汀線(ていせん)に打ち上げられたコンブなどの海藻に、たくさんの生きものが群がって食べている。
 跳ねながら移動するオオハマトビムシ(7)、ハマトビムシの仲間、そしてハマダンゴムシ。ハマダンゴムシは人家周辺にいるオカダンゴムシよりも二回り大きくなる。砂に似た色の地味なもののほかに、白いもの(8)、大理石のようなもの(9)、小豆色のもの(10)など、さまざまな色彩の個体がみられ、浜によっては非常に美しい。
 ハネカクシの仲間やホネゴミムシダマシ(11)といった小昆虫も、集まって海藻を食べている。アマモ類が漂着する入り江には、これだけを食べるハマベゾウムシの仲間(12)が暮らしている。
 

 (6)対岸に明かりが戻りつつある夜の砂浜(岩手県山田町 2013年8月)

(7)海藻に集まるオオハマトビムシ(山田町 2013年8月)

(8)白いハマダンゴムシ(山田町 2013年8月)

(9)大理石のようなハマダンゴムシ(山田町 2013年8月)

(10)小豆色のハマダンゴムシ(山田町 2013年8月)

(11)ホネゴミムシダマシ(岩手県釜石市 2013年8月)

(12)ハマベゾウムシ(山田町 2013年8月)

 そうした生きものたちを狙って、肉食の虫たちも集まる。ハマベハサミムシ(13)という悪食の虫は、柔らかくなよなよとした姿ながら、ハマダンゴムシを襲って食べている場面を何度も見かけた。
 真夏に登場するのが、ハマベオオハネカクシ(14)という精悍な虫だ。昆虫の同好者でなければ顧みることもないが、銀色の微毛をまとった姿は美しく、しかも北国の海岸を代表する昆虫だ。北海道では各地で知られるが、本州ではいまのところ、青森県の下北半島と、岩手県のごく一部でしか見つかっていない。津波後にも、岩手県の2ヵ所の海岸で生息を確認した。その行動は緩慢で、砂浜の汀線近くに出てきてじっと待ち、オオハマトビムシなどが近くを通りかかった際に食らいつく。

 砂浜の生きものを調べるには、このように夜の浜歩きが重要になる。生きものの顔ぶれは砂浜によって違うが、その違いこそが私の言う「地域の表情」であり、「砂浜の豊かさ」なのだ。

 

(13)ハマダンゴムシを食べるハマベハサミムシ(山田町 2013年9月)

(14)ハマベオオハネカクシ(山田町 2013年8月)

津波跡を歩く人たち

 ところで、津波跡の自然環境を調べ歩く人は、決して多くはなかった。地震の実態を検証する地学分野、建造物の被害調査をする建築分野や土木分野、それに農地の土壌塩分の測定などでは、多くの人々が行政からの委託で被害実態の調査に駆り出され、直後から動いていた。だが自然環境の調査には、多くの人が二の足を踏んでいた。

 津波で大きな被害を受けた地域の大学では、研究者の多くが学生や卒業生、それに友人知人を失っていた。避難所の開設や、支援物資の配送をはじめとした直接の救援に追われるほかに、授業開始に向けて、損壊した建物の応急処置や事務手続きも必要で、とても通常の調査研究活動ができる状態ではなかった。
 直接の被災地から遠くにいる研究者ほど、動ける状態にはあったが、「外部の者が行けば迷惑になる」という感情面での抑制が、大きなブレーキとなっていたことは否めない。

 しかし、そのような社会の空気のなかでも、津波跡を歩きつづけていた人が、ごく少数だがいた。
 津波後の初期の段階では、民間の同好者の、強い意志による活躍が目立った。なかでも仙台の蒲生干潟などで鳥類を守ってきた人々は、迅速に調査を展開した。干潟の渡り鳥や砂浜のコアジサシの営巣調査(15、16)などから、津波後の生態系の再生状況を把握し、巣立ちまでは重機の侵入を見合わせるよう事業者と交渉していた。
 植物については、2010年までに仙台市の海岸林(砂浜、森林、湿地をあわせた部分)での植物調査をまとめ上げ、在来植物629種を確認していた数名の同好者が、津波後に丹念に歩きつづけていた(17)。また、幾人かの大学などの研究者によっても、貝や魚類の調査、植生変化の調査などが部分的に進みつつあった。

 

(15)コアジサシのヒナを追跡しての標識調査(宮城県名取市 2012年6月)

(16)コアジサシの巣、卵と標識(名取市 2012年6月)

(17)津波跡では同好者が継続して植物を調べていた(名取市 2012年9月)

(18)カワラハンミョウの巣穴を掘り上げて深さを調べる(名取市 2012年5月)

 連日のように津波跡を歩いていた私も、2012年になれば次第にそうした方々と出会い、連絡をとりあうようになっていた。復旧事業への対応に当たるために情報の一元化を呼びかけ、夜、仙台駅前に集まっては、地域ごとに情報の集約を進めた。

計画は変更された

 仙台平野での堤防の建設は、宮城県ではなく、国がおこなうことになっていた。具体的な計画を入手してみると、仙台市から南側に続く砂浜のほぼすべてが、工事用の道路や資材置き場として利用されるという案になっていた。計画通りに進めば、全国的な希少種になってしまったカワラハンミョウは、すみかを失って絶滅しかねない。
 
 まずは正確な情報を集める必要があった。カワラハンミョウについて、2011年に津波跡での生存を確かめることができたのは私だけだったが、仙台湾の広域にわたる6ヵ所で確認し、成虫ばかりでなく幼虫の巣穴の数と位置、場所による巣穴の深さも調べていた(18)。翌2012年の春には、個体群がどこにどれぐらいの規模で残っているかという全体像をほぼ把握できていたので、まずはその範囲に手をつけないことが必要だった。

 計画では、砂浜が資材置き場として利用されるのは数年間で、堤防の完成後はすべて撤去されることになっていた。だが、植物は土壌中の種子などから回復できるとしても、昆虫は、数年間すみかを失えば、世代が途絶えてしまう。従来の堤防工事は数十年にわたって漸次的におこなわれてきたから、1ヵ所が破壊されても周辺には良好な場所が残存していたけれども、今回はすべての海岸で同様の工事が数年のうちにおこなわれるため、時間差がほとんど存在せず、生物に「渡り歩きの時間」がほとんど残されていないことが大きな問題だった。

 ほかに重要な課題として、鳥の同好者からはコアジサシの営巣地の確保が挙がってきた。2011年の宮城県内での調査の結果、巣立ちまでに親がヒナを連れて移動した距離は最大1㎞であった、との具体的なデータにもとづき、コロニーの周辺1㎞までを立ち入り禁止とする措置を求めた。
 
 津波跡を歩きつづけてきた各分野の同好者からの情報を集約しては、工事を担当する行政への申し入れを繰り返した。行政側は、開かれた議論となるようにと、時間をおかずに研究者による有識者委員会をもうけ、協議はそこに移された。

 すでに、堤防の位置と規模に関しては、さまざまな段階の協議を経て最終決定しており、動かす余地はなかった。
 したがって緊急回避として、動植物の残存の「核」となっている重要な区間では、砂浜を資材置き場や道路として使用すること(19)を避け、すべて内陸側から工事をおこない、表土にもいっさい手をつけないことで折り合いがつけられた(20)。さらに、部分的にではあるが、砂浜の広さを確保するために、堤防を内陸側にずらすことも決まった。

 災害非常時ということで、計画段階から非常に急がれていたなかで、このような緊急の計画変更が実現した背景には、行政内部にも自然環境の重要性を理解する人がいたこと、そして変更が必要な理由を明確に示しながら行政関係者に理解を求めた、数名の研究者の存在が非常に大きかったことも、付記しておく。

 

 (19)当初の計画通り、砂浜が資材置き場や工事道路として利用された堤防の建設現場(名取市)

 (20)砂浜に手をつけずに残し、内陸側から腕の長い重機で工事が進められた堤防の建設現場(名取市)

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永幡嘉之

ながはた・よしゆき 1973年兵庫県西脇市生まれ。自然写真家。

山形県を拠点として、昆虫類を中心に動植物を調査する一方、絶滅危惧種の保全を継続的に実践。写真家としての主題は、ロシア極東地域と日本の里山を比較することにより、里山の歴史を読み解くこと。また、世界のブナ全種の森を歩き続け、動植物の調査を通して森の歴史を考え続ける。著書に巨大津波は生態系をどう変えたか』(講談社ブルーバックス)、『大津波のあとの生きものたち』(少年写真新聞社)、『原発事故で、生きものたちに何がおこったか。』(岩崎書店)など。

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