5年後の浜辺──復旧事業は生態系をどう変えたか

永幡嘉之

東北の自然に魅せられ、生きものたちを撮りつづけてきた写真家は「あの日」から、巨大津波が生態系に何をしたかを追いつづけた。彼が目にした絶望と希望は、2012年4月に『巨大津波は生態系をどう変えたか』において報告された。しかし、東北の生態系はその後、彼が予想もしなかった方向へと変容をとげていた。
5年後のいま、「真の復興」とは何かを問う短期集中連載。

巣立ち後まもないオオタカ

第4回 埋められた林

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「復旧」は防潮堤だけではない

 津波跡での復旧事業といえば、まず誰もが思い浮かべるのは防潮堤であろう。だが、実際には防潮堤のほかにも、農地や水路、海岸林など、さまざまな場所で復旧事業は進められた。そして、5年を経たいま仙台平野では、それらはほぼ終了している。
 農地では、塩分を含んだ土壌が、撤去されては入れ替えられた。水路は原形復旧を基本としながらも、地元からの要望があれば土水路のコンクリート化が進められた(1)。また、避難場所の整備のため、盛り土による公園づくりも進められた。
 
 津波の翌年すなわち2012年から2013年にかけて、防潮堤に関して行政と協議しながらも並行して、全体的な復旧事業計画をひととおり入手し、優先順位の高い場所から順次、協議を申し入れていった。
 しかし、複雑に分かれた行政の管轄部署を探し当てることができず、間に合わなかった場所もあった。宮城県のある離島では、再生していた干潟についての情報を入り江ごとに集約し、海岸の防潮堤工事の事業計画と照合していたのだが、その間に農地復旧が先におこなわれ、干潟になっていた部分の大半が失われてしまった。
 農地の復旧が進むにつれ、水田跡で復活をとげたミズアオイも、ノウルシも姿を消した。湧水によってできた湿地が消滅するとともに、連載2回目に触れた青い眼のマダラヤンマも、コバネアオイトトンボも消えた(2)。
 

(1)大規模な水路の改修(仙台市 2013年2月)

(2)農地は排水のあとで復旧された(名取市 2014年3月)

 従来であれば、開発は段階的に進行するため、時間差によって「すきま」のような湿地や草原が残る場合も多かったのだが、今回の復旧事業は隅々にまで一斉に進められたため、そうしたすきまを生きものが渡り歩くことも難しかった。
 
 こうした復旧事業のなかに、海岸林の造林のために「盛り土」をして整地するという計画があった。それは、海岸側の堤防の際(きわ)から内陸側の農地との境界まで、つまり林のほぼ全面を、山から運んだ土砂で3~4メートルの高さに埋めて、台形に整えるというものであったうえに、少なくとも仙台平野では約40キロメートルの海岸林のすべてで実施される計画であったため、驚いて行政に協議を求め、その後、長い時間を費やすこととなった。

林をつくるために山を削る

 海岸では飛砂を防止するため、江戸時代の末期から長い年月をかけて、クロマツやアカマツが植えられてきた。2011年の津波ではその多くが、流木となって内陸側の農地などに運ばれた(3)。この結果を受けて、今後の造林にあたっては、たとえ津波が来ても海岸林から木を流出させないような強度が要求された。
 マツ類が植えられていた海岸砂丘の内陸側は、そもそも湿地と砂地が入り混じっていた部分なので、地下水位が高い。そうした場所ではマツ類の根は横に浅く張っていたために、衝撃を受けるとどうしても、根から倒れやすかった。そこで、造林学や土木工学の専門家で構成された委員会から、林の復旧にあたってはマツを倒れにくくするために根をより深く伸ばすことが必要であり、それには土壌を厚くすればよい、との方針が出された。ただし、林の幅が250メートル以上あれば波の影響は減殺されるので盛り土は必要ない、という方針も同時に出されたが、現実にはそれだけの幅がある林はほとんどなかった。


 この方針のもと、仙台平野の海岸林では、林がほとんど倒れずに残ったわずかな場所を除けば、例外なく盛り土をする計画が立案された。そのためには大量の土が必要となるため、山を削ることが予想されたが、土の確保は受注した業者に一任されたため、どれだけ山を削らねばならないのかを事前に把握している人は、行政にも有識者にも誰もいなかった。
 

(3)農地まで流された木々(名取市 2011年7月)

海岸林で復活していた昆虫たち

 連載の初回で触れたように、海岸林は生物の劇的な再生の舞台になっていた。森林性の虫たちばかりでなく、林のなかの水たまりは晩春に羽化していた大きなヤブヤンマ(4)や、マユタテアカネ(5)リスアカネ(6)、コシアキトンボ(7)など、木立を好むトンボ類の拠点になっていた。宮城県では絶滅が危惧されていたネアカヨシヤンマ(8)も、津波後の海岸林で生き残っていたのを確かめた。ただしネアカヨシヤンマは2012年を最後に確認できていない。復旧事業が進んだことで県内では絶滅したとみられる。
 

(4)海岸林で羽化したヤブヤンマ(仙台市 2012年6月)

(5)林に囲まれた池を好むマユタテアカネ(仙台市 2012年9月)

(6)リスアカネ(仙台市 2012年8月)

(7)コシアキトンボ(仙台市 2012年6月)

(8)ネアカヨシヤンマ(仙台市 2012年8月)

 海岸林に響くセミの声は、年々大きくなっていた。アブラゼミやミンミンゼミは一世代に7年程度かかるという研究結果がある。つまり1年で増えるわけではないので、津波によって海水に覆われた土の中で、小さな幼虫ほど多く生き残ったことを示しているのだろう。
 最も広域で生き残っていたのはアブラゼミ(9)とニイニイゼミ(10)で、林が比較的広くまとまって残っていた場所ほど数が多かった。こうした保存状態のよかった林では、多数のツクツクボウシに混じって、少ないながらミンミンゼミやヒグラシの声も聞かれた。下草や低木では、セスジツユムシ(11)の姿もよく見かけた。
 

(9)アブラゼミ(亘理町 2013年7月)

(10)ニイニイゼミ(仙台市 2012年7月)

(11)セスジツユムシ(名取市 2012年9月)

 夜になると、海岸林に響く音色はキリギリスやコオロギの仲間の声に変わる(12)。セスジツユムシのほかに、ハヤシノウマオイやカンタン(13)の声も多く聞かれ、スズムシが残っていた場所もあった。
 剥き出しになった地肌には、クロコウスバカゲロウ(14)の幼虫が多数の巣穴を掘り(15)、ウスバカゲロウ、ホシウスバカゲロウ(16)やコカスリウスバカゲロウも残っていた。
 

(12)夜の海岸林(名取市 2012年7月)

(13)カンタン(名取市 2012年8月)

(14)クロコウスバカゲロウ(仙台市 2013年8月)

(15)クロコウスバカゲロウの幼虫の巣穴(仙台市 2012年10月)

(16)ホシウスバカゲロウ(仙台市 2012年8月)

 ウスバカゲロウ類の幼虫はアリジゴクと呼ばれ、砂地に浅いすり鉢状の穴を掘るが、土に深くもぐることはない。そのため津波で大規模に表土が流された森林では、生き残ることは難しかったであろうと予想された。最も数を増やしていたクロコウスバカゲロウの場合は、津波の届かなかった内陸側から急速に分布を拡大したものと考えられた。
 だが実際には森林でも、広い面積で木々が残っていた場所に限っては、ほかの3種のウスバカゲロウも確認できた。このことから、津波の際にも少数の幼虫は生き残っていた可能性が高い。
 そうした場所は生きものが集中的に残る「核」になっており、ミミズを食べるアオオサムシ(17)の姿も見られた。この虫も地面を歩くことに特化していて飛べないことから、その場所で生き残っていたと考えられた。
 
 カワラナデシコが咲く初秋の海岸林では、日当たりがよくなった草原部分に、イボバッタ(18)やクルマバッタモドキ(19)、それにトノサマバッタ(20)をはじめとしたおびただしいバッタ類や、コニワハンミョウ(21)が見られた。カマキリではオオカマキリとコカマキリ(22)、カマキリ(23)の3種が見られ、ウスバカマキリを見た場所もあり、仙台平野に生息する全種の顔ぶれが揃っていた。
 

(17)アオオサムシ(仙台市 2012年8月)

(18)イボバッタ(名取市 2012年9月)

(19)クルマバッタモドキ(名取市 2012年9月)

(20)トノサマバッタ(名取市 2012年9月)

(21)コニワハンミョウ(名取市 2012年10月)

(22)コカマキリを食べるオオカマキリ(石巻市 2013年9月)

(23)カマキリ(岩沼市 2013年9月)

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永幡嘉之

ながはた・よしゆき 1973年兵庫県西脇市生まれ。自然写真家。

山形県を拠点として、昆虫類を中心に動植物を調査する一方、絶滅危惧種の保全を継続的に実践。写真家としての主題は、ロシア極東地域と日本の里山を比較することにより、里山の歴史を読み解くこと。また、世界のブナ全種の森を歩き続け、動植物の調査を通して森の歴史を考え続ける。著書に巨大津波は生態系をどう変えたか』(講談社ブルーバックス)、『大津波のあとの生きものたち』(少年写真新聞社)、『原発事故で、生きものたちに何がおこったか。』(岩崎書店)など。

連載一覧

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