5年後の浜辺──復旧事業は生態系をどう変えたか

永幡嘉之

東北の自然に魅せられ、生きものたちを撮りつづけてきた写真家は「あの日」から、巨大津波が生態系に何をしたかを追いつづけた。彼が目にした絶望と希望は、2012年4月に『巨大津波は生態系をどう変えたか』において報告された。しかし、東北の生態系はその後、彼が予想もしなかった方向へと変容をとげていた。
5年後のいま、「真の復興」とは何かを問う短期集中連載。

巣立ち後まもないオオタカ

最終回 社会の歯車のなかで

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「自然環境の面積」はどう変化したか

 津波のあとの復旧事業によって、東北の海岸の自然環境は大きく失われた。具体的に、どれぐらいの変化があったのかを把握するため、自然環境の面積の変化を航空写真から読みとり、概算だが算出してみた。
 
 なお、ここでは「自然環境」を、「表土が重機などでいちども攪乱されていない環境」と定義した。生態系が残っているかどうか、そしてその環境が持続可能なかたちで利用されているかどうかを根拠にすると、そのような定義になった。航空写真を用いて、仙台市南部の海岸線の土地利用状況を1940年代、震災直前の2010年、そして2015年の3つの時点で調べて、地図を作製した(1)。
 結果は一目瞭然で、自然環境は面積でみれば、大きく減少したことが読みとれた(2)。
 

 (1)仙台市海岸部における自然環境の推移

  

 (2)仙台市海岸部における自然環境の面積の変化(単位:ha)

 

 生態学の分野では、とくに植物に関して「種数-面積曲線」という関係が知られている。林や草原の面積が広いほど、種の多様性が残っており、逆に狭くなるほど、種数が減少するという対応関係がみられるのだ。くわしくは専門書に譲るが、日本国内でも、都市に残された孤立林などで、こうした関係について研究が進められてきた。
 
 しかし、その影響は、すぐには表れない。植物は一般に寿命が長く、樹木では百年以上におよぶこともあるからだ。たとえ結実しなくなり、繁殖能力がなくなっていても、枯れずに残ったものが1本でもあれば「健在」と判断されてしまう。本当の影響が把握できるのは数十年後になり、気づいたときはもう対策をとることはできない。
 
 地図に示した範囲で、数名の植物愛好者によって2010年の調査で確認された植物の種数は、796種(在来種629、外来種167)であった。自然環境の面積が大きく失われた以上、数十年が経てば、この地域から絶滅する動植物がいくつも出てくることは避けられないだろう。
 

(3)仙台市では絶滅したが、別の津波跡地で生き残っていたオオイチモンジシマゲンゴロウ(2011年11月)

 植物は、減少などの影響が出るまでの時間差が大きすぎる。では、影響がもう少し早く表れるような生物はいないだろうか。
 生態系においては、環境の変化による影響は一般に、食物連鎖の上位種になるほど、表れやすい。たとえば昆虫ではトンボ類のカトリヤンマやネアカヨシヤンマ、それにオオイチモンジシマゲンゴロウ(3)などがこれに相当し、すでにこの地域から絶滅種が出ている。
 そこで私が生態系の上位種として注目したのが、鳥を専門に狩って食べる、猛禽類のオオタカ(4-6)だった。



 

(4)オオタカのつがい。上がオス、下がメス(2013年4月)

(5)巣立って間もないオオタカの幼鳥(2013年7月)

 (6)復旧事業が進む津波跡地でカルガモを捕えたオオタカ(2013年4月)

津波跡はオオタカにとって「良好な環境」だった

 津波の前には、仙台平野の海岸では一定の間隔でオオタカが営巣していた。津波の直前、あるいは直後の2011年には詳細な調査はおこなわれていないが、1年後の2012年春から、民間の鳥の愛好者がくわしく調査した結果、5組のオオタカのつがいが営巣していることが明らかになった。私自身もこの年には数ヵ所で、親や巣立った雛の姿を見ている。
 
 その当時の森林は、オオタカの営巣や育雛にとって、かなり良好な環境だったのだろう。樹木が密に生えている場所はわずかしか残っていなかったが、マツ類が倒れた林には餌となる小鳥が多数いたし、何より人間の存在が希薄だった。森、草原、農地というように画一的に色分けされた土地利用は津波によってなくなっており、草原のなかでは低木がまばらに伸びはじめ、湿地が点在しているなど、環境の境界が曖昧になっていた。動植物の多様性には、これが重要なのだ。
 
 もっとも、津波跡では林が減少して孤立したことで、条件のよい林には多くの鳥が集中するようになり、通常の環境とは異なることも起こっていた。
 オオタカが営巣した林をカラス類もねぐらとして利用するようになり、カラスの妨害に耐えかねたオオタカが巣を放棄してしまった。また、増加したトビ(7)がごく近距離に営巣したため、オオタカと毎日のように小競り合いを起こした。オオタカの巣の近隣で、ノスリ(8)が営巣していることもあった。猛禽類は強いなわばり意識を持ち、通常は争いを避けるために、互いが離れた場所に巣をつくるが、このような特殊な場面が重なることもまた、津波跡を特徴づけるできごとだった。
 

(7)巣立ち直後、親から餌をもらうトビの幼鳥(2013年6月)

(8)津波跡で餌となるネズミを探すノスリ(2014年3月)

開発も調査も圧力になる

 オオタカは知能が高く、警戒心が非常に強い。近くで重機が動くような大きな環境の変化はもちろんのこと、近づいてくる人間にも敏感だ。
 休日には巣の近くでの犬の散歩や、サバイバルゲームの愛好者の接近もあった。だが、巣に注意を払わない人間には、オオタカはそれほど警戒しない。一方で、遠距離からでも望遠鏡で巣を眺めている人間には、警戒をゆるめない。
 
 オオタカは「種の保存法」という国の法律の指定種であるために、公共事業では環境アセスメント調査が義務づけられている。そのため、復旧事業が始まると、終日、巣を見ている調査員の姿が目立ちはじめた。当時、私たちが把握していた範囲では、少なくとも5つの行政機関がそれぞれ独自にオオタカの調査をおこなっており、なかには同じ巣を3つの機関が別々の予算を投じて調べている例もあった。
 個々の調査員はなるべく影響を与えないように注意をはらっても、人数が増えればそれに比例して、オオタカへの影響も大きくなる。まずは実態を正確に把握せねばと、2013年4月のある日に、巣に近接する人が何人になるのかを試しに観察したところ、環境アセスメントの調査員や他分野の研究グループに加えて、大人数での行政の視察も重なり、日中だけでひとつのオオタカの巣がある林に28人が訪れるという、前代未聞のできごとまで目にした。
「種の保存法」の指定種であっても、実際には、行政のなかで情報を共有して対応を一元化するしくみもなかった。
 
 環境調査の調査員からは「何の権利があって介入するのか」との強い抗議も受けた。だが、全体を見渡せる人が誰もいない以上、民間人が軌道修正する以外にない。それぞれの行政機関にかなり強く対応を求めた結果、一部の省庁間では調査が統合されて結果が共有されるようになり、また、個々の復旧事業の際には、繁殖期間中は近隣での工事をいっさい止める、営巣木周辺の樹林を可能なかぎり残す、などの一定の対応は約束された。

そしてオオタカは激減した

 調査が開始された2012年から4年間の、津波跡でのオオタカの繁殖結果(9)を見ると、いまも苦しさがよみがえる。
 継続して調査された5個の巣では、巣立ち数がゼロになった。新しく見つかった巣も、わずかに1つのみだった。巣を放棄させるような、直接的な工事があったわけではない。だが、周辺で櫛の歯が欠けるように自然環境が失われていった結果、複合的な要因で営巣できなくなっていったと考えられた。
 それぞれの事業の担当者が保護のために尽力したことは、交渉にあたった当事者としてよくわかるし、厳しい結果を書くことにはつらさもある。だが、結果は受けとめねばならないだろう。
 
 営巣場所を失ったオオタカは、同じ仙台平野のどこかに行くだろうとの意見もあったが、生息に適した丘陵部にはすでに別の個体が縄張りを張っているので、新たに入り込めるような空白地はない。
 

 (9)仙台平野の海岸林で津波後に営巣していたオオタカ5組の4年間の繁殖状況
  (上記のほかに2014年から1巣が確認され、2014年に1羽、2015年に3羽が巣立った)

 

 復旧事業は、複数の省庁がそれぞれに作成した、猛禽類あるいはオオタカへの配慮マニュアルを遵守して進められた。にもかかわらず激減したのだから、マニュアルは機能しなかったことになる。実効性を持たせるためには、生息環境を広く守るしくみを盛り込むよう、マニュアルを改訂する必要がある。
 
 津波跡でのオオタカの激減が、復旧事業という人間の行為によるものであることは明白だが、ここでもう一つ、重視しなくてはならないのは、いずれの行政機関も「減った」という事実を認めていないということだ。
 誰かが直接、手を下せば責任を問われるが、みなで間接的に追い込んでゆけば、誰も責任を問われることはない。これが、いまの公共事業の野生生物に対するスタンスであり、生きものたちはそうした立場に置かれているのだ。それに公共事業では、失敗があっても失敗として批判されないかぎり、現状は肯定され、教訓として次代に引き継がれることはない。交渉と苦悩は続く。
 
 津波跡からオオタカの巣立ちが激減したことは、生態系の歯車が失われてゆくことを象徴するできごとであり、同時に、今後も多くの動植物の絶滅が続いていくことの予言でもある。オオタカは、序章にすぎないのだ。
 自然環境の面積が大規模に失われたいま、回避する方法は、もはやない。あとは、いずれ明らかになる結果を受けとめるしかないのだ。

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永幡嘉之

ながはた・よしゆき 1973年兵庫県西脇市生まれ。自然写真家。

山形県を拠点として、昆虫類を中心に動植物を調査する一方、絶滅危惧種の保全を継続的に実践。写真家としての主題は、ロシア極東地域と日本の里山を比較することにより、里山の歴史を読み解くこと。また、世界のブナ全種の森を歩き続け、動植物の調査を通して森の歴史を考え続ける。著書に巨大津波は生態系をどう変えたか』(講談社ブルーバックス)、『大津波のあとの生きものたち』(少年写真新聞社)、『原発事故で、生きものたちに何がおこったか。』(岩崎書店)など。

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