さがせ、おもしろ研究! ブルーバックス探検隊が行く

この連載は、ブルーバックス編集部が最先端の研究を行う現場にお邪魔して、そこにどんな研究者がいるのか、どんなことが行われているのかをリポートする研究室探訪記です。
いまこの瞬間、どんなサイエンスが生まれようとしているのか。論文や本となって発表される研究成果の裏側はどうなっているのか。研究に携わるあらゆる人にフォーカスを当てていきます。
書籍としてのブルーバックスとはまた違った視点で見る、科学の現場をお楽しみください。

「お遍路の科学」で見えた「100歳で健康」のヒント

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(取材・文 深川峻太郎)

四国のお遍路さんを科学するのだ!

編集部からこの探検隊の業務を拝命した瞬間に、脳から興味が噴出した。なにしろ頂戴したお題は「お遍路の科学」である。もちろん、お遍路も科学もまったく知らないわけではない。しかし、その組み合わせは意表をついている。たとえばトーストと納豆は誰にとっても馴染み深いが、「納豆トースト」となれば意表をつかれる人が多いだろう。実際、私の妻も結婚当初に意表をつかれていた。私、好きなんです。納豆トースト。だからきっと、「お遍路の科学」も面白いにちがいない。わかったようなわからないような理屈だが、意表をつく研究の探検は楽しそうだ。そう思って、喜んで隊員を引き受けたのである。

「私たちの健康工学研究部門は、7年ほど前に四国を中心に発足しました。この部門では『100歳を健康に生きる技術開発』を目指しています。『100歳まで』ではなく『100歳を』。つまり、100歳はあくまでも通過点にすぎません。100歳を過ぎても、心と体がピンピンした状態で暮らせるような技術を開発したいですね」

探検に訪れた私にまずそう教えてくれたのは、産業技術総合研究所イノベーション推進本部の吉田康一さんだ。現在はつくばの本部組織で複数の研究部門を統括する立場だが、それ以前は香川県にある四国センターで健康工学部門長を務めていた。「康一」さんというお名前からしてそのポジションがよく似合うわけだが、そのとき手がけたのが「お遍路の科学」である。なるほど、四国ならではの研究テーマだ。四国では、吉田さんが「いつも白装束で歩く人たちを横目で見ながら通勤していました」というぐらい、そこらじゅうにお遍路さんがいるらしい。いわば「お遍在さん」なのだから、注目するのは自然な流れである。しかし、それが健康工学とどう結びつくのだろうか。

なぜお遍路を科学するのかを熱く語る吉田さん

 

1200年前に弘法大師(空海)が開設したとされる四国八十八ヵ所のお寺を巡るのが四国遍路。江戸時代になって庶民の間で大流行した。第1番札所の霊山寺(徳島県)から第88番札所の大窪寺(香川県)までの行程は約1460km

 

「四国では年間約2万人ものお遍路さんが八十八ヵ所を巡っており、そのうちの約7000人はバスや車を使わない『歩きお遍路』です。1ヵ月ちょっとかかるのに、これだけの人が集まるのはすごいですよね。何回かに分けてやる人も多いのですが、それも相当な手間と時間がかかるでしょう。そんなお遍路が1200年も続いているのは、それが信仰心を満たすだけでなく、健康にも良いからではないでしょうか。ならば、それを科学的に解明したいと思いました。たくさん歩くので体に良いだろうということは想像がつきますが、お遍路さんは立ち寄ったお寺で読経などもするので、精神的な癒しの効果もあるのではないかと考えたのです」

吉田さんの率いていた健康工学研究部門では、それ以前から、生活習慣病の予知に関する研究に取り組んでいた。いわゆる「未病」の状態を察知するには、病気の予兆を知らせるバイオマーカーを特定し、それを計測する機器を開発する必要がある。まさに「健康工学」の出番だ。お遍路の研究では被験者の健康状態を調べるので、その計測機器を組み込めるだろう。そこで装置の有効性を検証できれば、一石二鳥だ。

「ですから研究の動機は二つですね。一つは、私の個人的な興味。もう一つは、長期的に見れば健康工学研究部門でやるべき研究の集大成になること。研究チームには、脳内で出るBDNFという物質を、うつ病のバイオマーカーとして調べている人もいます。糖尿病や高血圧などの生活習慣病だけでなく、うつ病の予防も現代社会の大きな課題。そのバイオマーカーが計測できるようになれば、早期発見につながるだけでなく、うつ病でいったん長期休暇を取った人が職場に復帰するタイミングを見極めることもできるでしょう」

50項目にもおよぶ試験項目

さて、お遍路の健康増進効果をたしかめるには、被験者の血液や尿や唾液などを採取して検査を行い、お遍路の前後で数値がどう変化するかを見なければいけない。そういう「ヒト由来試料」を扱うには、倫理委員会の審査をクリアする必要があるそうだ。しかし産総研には付属病院がないため、外部の委員から厳しく審査を受ける。これにけっこう時間がかかったらしい。そんな愚痴…いや「実情」も正直に聞かせてくれた吉田さんであった。

また、被験者が歩いて回るお寺への根回しにも時間をかけたそうだ。たしかに、お寺の境内で採血したりするわけではないとはいえ、信仰としての行為に科学のメスを入れるのは、デリケートな配慮が必要だろう。結局、ヒト由来試料倫理委員会の審査をクリアし、お寺の了承を得るまでに、一年ほどかかった。思い立ったらすぐ実行!というわけにはいかないのが、科学の実験なのである。

「今回の被験者は、私自身を含めた研究者やその関係者です。みんな仕事があるので、残念ながら八十八ヵ所すべてを回るわけにはいきません。出発の1週間前から採血と採尿をやらなければならないので、それだけでもかなり手間がかかるんですよ。4日間で6~7ヵ所を回る試験を、2011年から2012年にかけて高松で2回、高知で1回、計3回実施しました。たとえば1回目の試験は、産総研四国センターを出発して、83番札所の一宮寺から88番札所の大窪寺まで(図1)。1日あたりの歩行距離は20km程度になります」

図1 吉田さんたちが実施した1回目の実験のルート
2012年12月12日に産総研四国センターを出発して、一宮寺(83番)、屋島寺(84番)、八栗寺(85番)、志度寺(86番)、長尾寺(87番)、大窪寺(88番)の各札所を3泊4日で歩いた(いずれも香川県)。1日当たりの歩行距離は約20km

 

いざ、一宮寺を出発する被験者たち(左から3人目が吉田さん)

 

試験項目は、血液・尿・唾液検査だけでも、約50項目に及ぶ(図2)。ふつうの健康診断で計測する白血球数や赤血球数などの一般血液検査、人間ドックで計測するGOTやGPTなどの生化学検査に加えて、セロトニンやNK活性、酸化ストレスやうつ病のバイオマーカーなども対象にした。

図2 採血・採尿における試験項目
一般的な健康診断の項目のほかに、セロトニン、NK活性(免疫細胞であるNK細胞の活性)、酸化ストレス、BDNF(うつ病のバイオマーカー)なども計測対象とした。

 

「酸化ストレスのマーカーは、自分たちで開発したものです。酸化ストレスとは、いわゆる活性酸素が引き起こすストレスのこと。不対電子を持つ化合物をラジカルと呼びます。酸素分子自体、不対電子を二つ持つラジカル(活性酸素)です。これは化学的に不安定で、反応性が高い。そのため体内でいろいろな臓器と反応して、がんの原因になったりもします。酸化ストレスが高いほど、生活習慣病になりやすいわけです」

試験項目はほかにもある。心の変化を知るために、緊張-不安・抑うつ-落ち込み感・怒り・活気・疲労・混乱という6つの尺度で気分や感情を測定するPOMS(Profile of Mood States)という心理評価も行った。「気がはりつめる」「不安だ」「孤独でさびしい」「考えがまとまらない」「へとへとだ」などの質問に、「まったくなかった」から「非常に多くあった」まで5段階で回答するアンケート形式の調査だ。仕事中に回答したら、どれも「非常に多くあった」になってしまう人も多いかもしれない。

また、測定機器を使う試験項目も二つある。一つは、心拍変動解析。これによって、自律神経系のバランスを調べた。「自称もち肌」の吉田さんによると、歩行中も入浴中も睡眠中も地肌のあちこちに測定器を貼り付けたままなので、1回目の試験ではお肌がかぶれて大変だったそうだ。そこで2回目以降は、1ヵ所だけ貼ればOKのタイプに変更したとのことである(図3)。ちなみにその後、着るだけで心拍数や心電波形などを計測できる機能素材「hitoe」を東レとNTTが開発した。NTTドコモがそれを用いた生体情報計測用インナーウェアと計測データを利用するスマホ向けサービスを提供しているので、もし新たに試験することになれば、もち肌の人でも苦労しなくなるだろう。

図3 心拍変動の測定機器
最初は数ヵ所に貼っていたが(左)、もち肌の人にはつらく、1ヵ所だけ貼ればよいタイプ(右)に変更

 

もう一つの計測機器は、疲労度を解析するものだ。使うのはスマホ。インストールしたアプリで画面に表示される図形のうちの一つをチラチラとランダムに点滅させ、被験者はその図形を探してボタンを押す。「フリッカー試験」と呼ばれるテストだ。ちらつき(フリッカー)の見えやすさの度合いで、疲労度が定量化できるのである。このソフトは、すでにベンチャーを起こしてビジネス化されている。たとえば長距離トラックの運転手がこれで自分の疲労度を計測すれば、休憩すべきタイミングも明確になるだろう。

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「さがせ、おもしろ研究! ブルーバックス探検隊が行く」は、ブルーバックス編集部が、最先端の研究を行っているさまざまな現場にお邪魔して、研究の今をリポートする連載企画です。

隔週木曜日に新しい記事を公開していく予定ですので、どうぞお楽しみに!

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