『灯台の光はなぜ遠くまで届くのか』

『灯台の光はなぜ遠くまで届くのか』

訳者 岡田好惠(おかだ・よしえ)
著者 テレサ・レヴィット

時代を変えたフレネルレンズの軌跡

はじめに

 私が最初にフレネルレンズを見たのは、アラスカ州立博物館でのことでした。
 この博物館には子どもの頃によく通い、高校生時代はアルバイトの受付係として働きました。1階中央の吹き抜け部分には、ハクトウワシの剥製とその巣を置いたエゾマツの大木が植えられ、そのまわりを長いらせんスロープが囲んでいます。この長いスロープを歩いて2階へ行く人は、録音されたハクトウワシの甲高い鳴き声を、繰り返し耳にしながら上るのです。
 スロープの最後の角を曲がると、最初に見えて来るのが巨大なフレネルレンズでした。このきらきら光る一見正体不明の大きな装置は、とても素通りできないほどの存在感がありました。何百個もの磨き上げられたプリズムが整然と、しかも不思議な形に並べられ、この世ならぬ雰囲気を醸しだしているのです。亜寒帯の森林を見慣れた私の目には、ことさら衝撃的に映ったものでした。
 とんがり頭で、一見、レンズというより、まるでアラスカに不時着した飛行船のような本体の形状。常に発散されている干渉縞(かんしょうじま)〈*〉のせいで、シャボン玉を生み出すパレットのようにきらめいている表面。分厚いクリスタル・ガラス、真鍮のフレーム……。
 フレネルレンズとは、ヴィクトリア朝独特の細部へのこだわりと空想科学のみごとな結合だと、私は思いました。19世紀が未来と出会い、アメリカミズバショウとセンニンソウと、ハクトウワシの鳴き交わす声が満ちるアラスカの原野に斬新な装置が送り出されたのだと。
 そのとき、私の頭の中でフレネルレンズと、アラスカ新時代の幕開けが結びついたのです。たぶん、博物館のフレネルレンズが、歴史コーナーの入り口に据えられていたせいかもしれません。とはいえ当時でさえ、それが少々幼稚な連想だとは知っていました。博物館での展示場所は、時代考証より建物の構造や人の流れのほうを重視して決められることも、よく承知していました。
 ところが後年、フレネルレンズの歴史を研究しだすと、実際にこのレンズが、アラスカに新時代をもたらしたことを、改めて知ることになるのです。アラスカ湾岸にも、何百年にもわたる漁業や狩猟や交易の歴史があります。けれどもそれは、基本的にアラスカで完結する活動で、地域外の注目を浴びることはほとんどありませんでした。
 アラスカは1868年、ロシアからアメリカによって買収されました。全米の人びとは国務長官ウィリアム・スワードの決断を〝スワードの愚行〟と呼んであざけりました。こんな不毛の荒野を手に入れたところで、アメリカが、拡大する世界貿易の波に乗れるはずもない、というのが彼らの言い分でした。ところが1896年、ユーコン地方のクロンダイクで金鉱が発見されたとたん、事態は一変します。アラスカのゴールドラッシュが始まったのです。アメリカ議会は、それから1ヵ月もしないうちに11基のフレネルレンズの購買を決定し、すべてアラスカ沿岸の灯台に設置すると発表しました。
 ところが、レンズの複雑な構造のため、設置工事は遅延を重ねます。1899年にゴールドラッシュが終わるまで、アラスカ沿岸がフレネルレンズの恩恵に浴することはありませんでした。ただしその後は、フレネルレンズの光を得た大洋航路ではより安全な航海が保証され、船舶の往来がいよいよ頻繁になります。アラスカにも、ついに世界貿易に参加する道が開けたのです。
 フレネルレンズを備えた灯台ができると、その地域はとたんに世界貿易市場と直結することになりました。フレネルレンズのおかげで、アラスカ沿岸各地では、同じことが次々と起きました。
 歴史関係者は、何かを説明する手段として、よくレンズという比喩を用います。ところが私は、歴史関係の書籍のなかで使われる「レンズ」という比喩に時おり、苛立ちを覚えずにはいられませんでした。レンズという言葉が嫌いなのではなく、比喩が正確さに欠けると思われたのです。レンズには拡大、縮小、回転、散開、収斂(しゅうれん)、補正、とさまざまな働きがあり、光を歪めて通すという性質があります。それまで出会った「レンズ」という比喩が、上記のどの働きを指すのか、私にはさっぱりわかりませんでした。
 けれどもある日、思い切って発想を転換したのです。フレネルレンズで歴史を見たらどうなるだろうと、私は想像しました。
 フレネルレンズは、数あるレンズの種類のなかでも非常にユニークな存在です。
 収斂が苦手で、鮮明な像を結ぶことこそできませんが、光を集めることにおいて、その右に出るレンズはありません。
 私は早速、過去2世紀に、フレネルレンズの光を当ててみました。すると2世紀分のぼんやりした輪郭が徐々に形をなし、やがてはフランス革命から第二次世界大戦に至る歴史的様相が、くっきりと浮かび上がってきたのです。
 フレネルレンズはこうして、私の歴史研究におけるかけがえのないツールとなりました。19世紀と20世紀には近代化、民族主義、帝国主義を始めとする、広大かつ境界があいまいな歴史の語彙が次々と登場します。この200年はまた、世界中で輸送のインフラ(基礎基盤)が急速に発達し、グローバル化と呼ばれる世界経済の共存関係が急激に進んだ時代でもありました。
 それらをわかりやすく説明しようと焦点を絞っていくと、どうしても、活気に満ちたこの200年の雰囲気や、人や物の複雑な流れ、国際的なつながりなどへの言及をすべて切り捨てざるをえなくなるのです。そこで私は、いっさい焦点を絞らないことにしました。すると私のフレネルレンズは光を集め、灯台の灯のように、私を目指す世界へ安全に導いてくれました。そして、この時代の多岐にわたる特徴をくまなく見せてくれたのです。
 フレネルレンズはむだのない設計と曲線美によって、エッフェル塔と並ぶ現代の象徴となり、万国博のスターとなりました。フレネルレンズの展示の前には、何万人もの見物客が、その新奇さをあがめ、その力にあやかろうと、長蛇の列をなしました。けれどもフレネルレンズは、単なる飾り物には終わりませんでした。万国博のスターは、一時代の創造に直接関わったのです。フレネルレンズの光に助けられ、安全性が確保された商業用航路では、国際貿易が栄え、ひいては植民地拡大の野望が花咲くことにもなりました。
 フレネルレンズを搭載した灯台の建設は、人命を守ることを最優先の目的として実行されます。このことは、科学はまず何より進歩と文明化の原動力となるべきだとする旧来の科学観へ重大な一石を投ずる結果となりました。
 「一粒の砂に世界を見る」とは、19世紀の英国の詩人・画家ウィリアム・ブレイクの名言です。21世紀に生きる私たちは、その砂に微量の灰を混ぜ、るつぼで熱して、私たち独自のレンズを作ろうではありませんか。そのレンズを通して見える世界がどんなものか、想像するだけでも、わくわくしてくるというものです。
 *光の干渉により生ずる縞模様。単色光では明暗の縞ができ、白色光では色のついた縞になる。

訳者 岡田好惠(おかだ・よしえ)

青山学院大学文学部フランス文学科卒。主な著書に『アインシュタイン』(講談社火の鳥文庫)など。主な訳書に『デルトラ・クエスト』シリーズⅠ期Ⅱ期(岩崎書店)、『勇者ライと3つの扉』シリーズ(KADOKAWA)、『小公女セーラ』(学研教育出版)、絵本『ちいさなプリンセス ソフィア』シリーズ(講談社)などがある。

著者 テレサ・レヴィット

ミシシッピ大学のマクドネル・バークスデールカレッジ歴史学科長、准教授。マサチューセッツ工科大学(MIT)を卒業後、アイオワ州立大学で歴史学の修士号、ハーバード大学で博士号を取得。アメリカ国立科学財団(NSF)などより研究助成金を授与され、多岐にわたる科学論文や記事を数多く発表している。

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