宇宙に「終わり」はあるのか

宇宙に「終わり」はあるのか

吉田伸夫(よしだ・のぶお)

最新宇宙論が描く、誕生から「10の100乗年」後まで

はじめに なぜ「今」なのか?

「陛下、どこから始めましょうか」と白ウサギ。
「はじめから始めるのじゃ」と、とても重々しく王様は申されました、
「そして終るところまでは終るな。(後略)」
ルイス・キャロル著『新注 不思議の国のアリス』(高山宏訳、東京図書)


 われわれの住むこの宇宙は、ほんの138億年前に始まったばかりである。
 別に言葉をもてあそんでいるわけではない。宇宙の過去から未来にわたる歴史全体からすると、138億年は、実際問題として、刹那とも言える短い期間だからである。
 宇宙の歴史は、138億年前のビッグバンを出発点とし、太陽系が形成され、やがて人類が繁栄する現在に至るまでの過程として語られることが多い。一例として、「宇宙カレンダー」というたとえ話がある(このアイデアの原型は、天文学者・作家のカール・セーガンの著書に紹介されている)。138億年の宇宙の歴史を365日に置き換えて、ビッグバンを元日の午前0時0分とすると、約46億年前の太陽系の形成は9月1日頃に当たり、約20万年前の現生人類の誕生は大晦日の午後11時52分頃に当たる――というような話を、読者も科学解説書などで見聞きしたことがあるかもしれない。
 これらの日付は確かに、簡単な比例計算で求められる正しい数値である。しかし、人類の誕生を結末とするこうしたたとえ話から、「遥かな時間の流れの末、宇宙が進化の果てに到達したのがわれわれ人類の時代だ」といった人間中心的な宇宙観に飛びつくのは、甚だしい偏見である。宇宙のスケールは、人間とは比較にならないほど巨大であり、宇宙にとって人間が何らかの意味を持つとは考えにくい。ビッグバンから138億年後という現在は、宇宙の歴史において、何らかの到達点でも、節目の年でもない。
 宇宙史の到達点を求めるならば、われわれ人類がたまたま生きているという恣意的な出来事に着目した“ビッグバンから138億年後の現在”ではなく、むしろ、宇宙が「ビッグウィンパー」と呼ばれる終焉に達した時点――本書では、ビッグバンから「10の100乗年」後を一つの目安とする――が、よりふさわしいだろう。
 宇宙カレンダーの例にならって10の100乗年を365日に置き換えると、ビッグバンから現在に至る138億年は、大晦日どころか、元日の午前0時0分0.000…004秒頃である(「…」では、0が77個ほど省略されている)。宇宙が終焉に至るまでの長久の歳月に比較すれば、ビッグバンから138億年後の現在は、宇宙が誕生した“直後”にすぎない。
 宇宙は、まだ始まったばかりなのである。

 宇宙が始まったばかりだとすれば、宇宙に「終わり」はあるのだろうか? 本書のタイトルの問いに、ここで簡潔に答えておこう。
 宇宙に終わりはある。先に言及したように、きわめて長大な(それでも有限な)時間経過の果てに、宇宙はビッグウィンパーと呼ばれる終焉を迎えることが予測される。宇宙は決して、多様な物質や天体を抱えた今のような姿のまま、無限の時間を定常的に過ごすわけではない。
 (第8章で述べるように)暗黒エネルギーに不明な点が多いため、宇宙が最終的にどうなるかというシナリオは確定していないが、現時点で最も確実性の高いシナリオによると、終末神話でしばしばイメージされる猛火や大戦乱のような激しい滅亡が宇宙に降りかかるわけではなく、滅亡の灰から不死鳥のように宇宙が再生するわけでもない。宇宙の終焉は、静寂に満ちたものである。
 宇宙の終焉と言っても、この宇宙が自然界から忽然と姿を消すわけではない。本書で構想するような遥かな未来においても、宇宙は確かに存在し続ける。
 しかし、存在することと活動(変化と言ってもよい)することとは別物である。宇宙を生物にたとえることが許されるならば、生物内の生命活動の一つである“代謝”に相当するのが、天体システムなどの複雑な構造の形成である。第11章で述べるように、ビッグウィンパーに達した宇宙には、もはや目覚ましい構造形成を起こす材料もエネルギーも供給されない。この意味で、宇宙は活動をやめる、すなわち「終焉」に達すると言わざるを得ない。生き物の死骸が単にそこに存在するとき、それを「死んでいる」と言うのと同様である。
 宇宙はやがて終わる。この宇宙は遠い遠い未来に静かな終焉を迎えることが、始まりの瞬間から運命づけられている。そのような宇宙で、ビッグバンから138億年後という“宇宙誕生直後”の時代に、われわれという構造は形成され、生きているのである。

 それでは、われわれがビッグバンから138億年後の「今」を生きていることに、何か理由があるのだろうか?
 もし、ビッグバンで誕生した後、宇宙がいつまでも同じ姿を保ち続ける不変の世界ならば、その半無限の歴史の中で、人類はいつ誕生してもかまわないはずである。とすると、現在のように、まだビッグバンの名残がそこここに残っている時代に人類が生まれることは、ほとんどありそうもない事態である。
 現実の宇宙は、不変とはほど遠い。人類が見上げてきた宇宙はいつまでも変わらぬ姿を保つように見え、古代ギリシャの哲学者はそれをコスモスという幾何学的な秩序が支配する世界と考えたが、こうした秩序ある不変の宇宙というイメージは、実は、せいぜい数千年という人間のタイムスケールで見た場合の虚像にすぎない。宇宙全史を通観する視点から眺めると、宇宙は絶え間なく変化し続け、刻々と姿を変えている。
 したがって、人類がビッグバンから百数十億年後に現れた理由を明らかにするには、長大な宇宙史において、この時期がいかなる状況にあるのかを考察しなければならない。

 そもそも、宇宙の変化はどのような法則によって引き起こされて、どこからどこへと向かうものなのか?
 宇宙の歴史は、決して合目的的な進化の過程ではない。むしろ、宇宙は、ビッグバンの時点から“崩れてきた”のである。
 ビッグバンは、一般にイメージされるような“爆発”ではなく、一様性の高い整然たる状態だった。この状態が物質の凝集によって崩れ始め、凝集と拡散のはざまでさまざまな現象が引き起こされながら、最終的には、ビッグウィンパーと呼ばれる拡散の極限へと行き着くのが、宇宙の歴史である。
 現在は、長い長い時間を掛けて崩れていく宇宙の歴史において、物質の凝集によって一様性が崩れ始めた直後の時期――凝集・拡散のせめぎ合いによって、渦巻きの形をした銀河やガス流、元素合成を行う恒星や造山活動のある惑星など、複雑な構造を持つシステムの形成が引き起こされる時代――なのである。
 こうした構造形成が可能なのは、ビッグバン以降の数千億年程度にすぎない。特に活発な構造形成は、ビッグバンから百数十億年という短い期間に集中して起きる。この時期を過ぎると、大量の光を放出する恒星は次々と燃え尽き、天体システムは崩壊して生命の存続は危うくなる。
 われわれ人類は、長期にわたって安定している宇宙に次々と登場する無数の知的生命の一つではなく、混沌から静寂へと向かう宇宙史の中で、凝集と拡散が拮抗し複雑な構造の形成が可能になった刹那に生まれた、儚い命にすぎない。

 本書は、ビッグバンの混沌から始まりビッグウィンパーの静寂に終わる宇宙の全歴史を、俯瞰的に眺める試みである。
 第I部・過去編では、ビッグバンに始まり、物質の生成や天体の形成を経て現在に至る138億年の歴史を、観測データによって支持される学説に基づいて解説する。第II部・未来編では、有力な理論による確実性の高い予測をもとに、恒星の死、銀河の崩壊、さらには、物質の消滅からブラックホールの蒸発と続き、もはや何の変化も生じなくなる宇宙の終焉までを述べる。
 本書の「はじめから始めて、終わるところまで終わらない」叙述を通じて、想像を絶する宇宙の巨大さと、ちっぽけな存在であるにもかかわらず宇宙の全貌を知ろうとする人間の気骨を、実感していただきたい。

吉田伸夫(よしだ・のぶお)

1956年、三重県生まれ。東京大学理学部卒業、東京大学大学院博士課程修了。理学博士。専攻は素粒子論(量子色力学)。科学哲学や科学史をはじめ幅広い分野で研究を行っている。ホームページ「科学と技術の諸相」(http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/)を運営。著書に『明解 量子重力理論入門』『明解 量子宇宙論入門』『完全独習相対性理論』(いずれも講談社)、『宇宙に果てはあるか』『光の場、電子の海』(いずれも新潮社)、『素粒子論はなぜわかりにくいのか』(技術評論社)など多数

[B2006]

宇宙に「終わり」はあるのか

吉田伸夫

「138億年」は、始まりにすぎなかった! ビッグバンから「10の100乗年」後の未来まで、最新科学が宇宙の全史を解き明かす。

ISBN : 978-4-06-502006-7

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