5年後の浜辺──復旧事業は生態系をどう変えたか

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植物は本来の姿に戻った

 仙台平野の砂丘に連なる海岸のマツ林は、江戸時代末期から、風による砂の飛散を防ぐため造林によって人工的につくられた記録が残っている。人間によってクロマツとアカマツが植えられる以前には、そこは海岸砂丘のいわゆる後背地であり、草原から広葉樹の低木林へと続いていて、場所によっては湿地が広がっていた。
 
 黒々と茂るマツ類の人工林のなかにも、本来の海岸にみられた植物は、断片的には残っていた。しかし、マツに遮られて生長に十分な光を受けることができないため、数は大きく減っていた。
 ところが、津波とその後の塩害によって、マツ類が枯れたことで、地面にまで光が届くようになった。そのため、本来の木々が一斉に生長を始め、土中に眠っていた種子も発芽した。
 津波跡で咲きはじめた花の顔ぶれを、季節を追ってつなぎ合わせることで、マツ類が植林される以前の、本来の海岸の自然環境を描き出してみよう。

 

(8)倒れた幹から花を咲かせたヤマザクラ(宮城県岩沼市 2013年4月

 津波から1年後の、そして2年後の春。木々の芽吹きにあわせて、一斉に開花したのはサクラ類。仙台平野の海岸には、淡い桃色をしたヤマザクラ(8)と、白いカスミザクラとが見られた。
 いずれも非常に数が多く、人間によってクロマツが植えられる以前の海岸では、サクラ類が低木林の主要樹種だったことを示していた。
 芽吹きの森は、新芽のさまざまな色に包まれていた。多くは生長とともに、数日で単調な緑色になってしまうが、新芽が伸びゆくわずか数日の間だけ、赤、橙、黄緑、それに早緑(さみどり)と、林にはさまざまな色が息づく。

 林が緑色に染まると、今度はさまざまな花の色が空間を彩る。
 津波から初めて迎えた5月の連休を過ぎると、ズミの白い花(9)が点々と咲き、レンゲツツジの朱が彩りを添えた(10)。ともにやや湿った場所を好み、この浜が本来の海岸湿地であった時代には、たくさん生えていたであろう低木だ。
 砂地が剥き出しになった地表は、ハマエンドウに覆われて、紫の絨毯になっていた(11)。淡いフジの花も咲き競っていた(12)。鮮やかな黄色の花をつけるセンダイハギも、本来の海岸草原に生えていた植物の名残りだ(13)。

 

(9)海岸林が湿地だった頃の名残り、ズミの花(岩沼市 2013年5月)

(10)    クロマツの倒木の下に咲いたレンゲツツジ(岩沼市 2013年5月)

(11)海岸林を埋め尽くしたハマエンドウの花(仙台市 2013年5月)

(12)巻きついていた木とともに倒れても花を咲かせるフジ(岩沼市 2013年5月)

(13)海岸近くの河川堤防に残っていたセンダイハギ(名取市 2013年5月)

 初夏には、北国の湿地に見られるノハナショウブ(14)が点々と咲き続き、アヤメやホタルブクロが残っていた場所もあった。ノハナショウブは、たとえば北海道の原生花園と呼ばれる海岸では多数が群生し、多くの観光客を集めている。しかし、かつては仙台や名取、岩沼といった市街地からごく近い海岸にも、規模はずっと小さいものの同じような光景が広がっていたことを知っている人はほとんどいない。

 真夏の浜辺には、ヤブカンゾウとオニユリ(15)の朱が目立っていた。ともに古い時代にこの地に持ち込まれて広がったと考えられている。
 それに対して純白のヤマユリ(16)は、現在の生え方からみても自生の可能性が高く、海岸林を白く埋めていた場所もあった。

 晩夏になると、秋の七草として名高いオミナエシやカワラナデシコ(17)が咲いた。沈みゆく陽を斜めに受けて、カワラナデシコが咲き続く道をたどる頭上から、ツクツクボウシの声が降り注いだ。

 

(14)初夏に花を咲かせるノハナショウブ(岩沼市 2013年6月)

(15)盛夏の海岸林を彩るオニユリとヤブカンゾウ(仙台市 2013年7月)

(16)盛夏に真っ白な花を咲かせるヤマユリ(宮城県亘理町 2013年7月)

(17)晩夏の海岸林を彩っていたカワラナデシコ(岩沼市 2013年8月)

鳥類にとっては「最後の砦」

 カワラヒワ(18)の甘い声が響く春の朝、澄んだ声で、枝先で囀(さえず)るのはアオジ(19)。
 ササの藪がある場所ではウグイスの声も聞こえるし、ホオジロ(20)、コムクドリ、モズ、ヤマザクラの花に蜜を求めるヒヨドリ(21)、それにキジバト(22)なども、次々と姿を見せる。獲物を抱えたオオタカ(23)が、低空を一直線に林に入ってゆく。

 

(18)甘い声で囀るカワラヒワ(岩沼市 2013年5月)

(19)枝先で囀るアオジ
(岩沼市 2013年5月)

(20)里山の身近な鳥、ホオジロ(岩沼市 2013年5月)

(21)ヤマザクラの花で蜜を吸うヒヨドリ(岩沼市 2013年5月)

(22)枯れたクロマツの枝にとまるキジバト(岩沼市 2013年5月)

(23)周囲を警戒するオオタカの幼鳥(宮城県亘理町 2013年7月)

(24)冬の海岸林では数が多かったアカゲラ(仙台市 2013年2月)

 冬にはマツ類の立ち枯れには、アカゲラ(24)やアオゲラなどのキツツキ類が多くみられ、ねぐらの穴が幹にいくつも残っているのだが、ともに繁殖期を迎えると山地のほうへ移動するため、春以降は小さなコゲラしか見られなくなる。やがて、フジの花が咲き始めると、朝夕にカッコウの声が響くようになる。
 
 それにしても、鳥の姿が多い。近年では「生物多様性」という言葉が頻繁に使われるが、具体的な「多様さ」とはこのような場面でありありと浮かび上がる。
 
 ある生物の「珍しさ」を問われる機会は、いまも少なくない。だが、そこにしかいない珍しさよりも、「ありふれた顔ぶれが当たり前にいる」ことのほうが、生態系には重要なのだ。
 
 生物の多様性とは、必ずしも理屈だけで伝わるものでもない。たとえばオオタカの写真1枚を見せて、オオタカがいるということは、毎日のように周囲の鳥を食べ、その鳥もそれぞれたくさんの虫を食べ、虫もまた植物を食べているのだから、たくさんの生きものがいることを象徴しているのだ、という理屈を並べるよりも、私はそこで見た生きものの写真をひとつでも多く並べ、オオタカもたくさんの生きもののひとつとして暮らしているという事実をまず伝えたい。
 この連載でもまず、津波跡での生きものの復活を、たくさんの写真を通して、理屈ではなく事実として語りたいのだ。
 
 津波跡の海岸林で出会ったアオジ、ウグイス、ホオジロ、モズ、ヒヨドリなどの小鳥のなかにも、希少種はいない。ふだんから「いることが当たり前」で、気にもとまらない鳥たちだ。
 しかし、ありふれた自然の豊かさには、失われたあとで初めて気づくものだ。私は里山の生物の多様性を描き出す写真家として、刻々と変わりゆく森の多様性の現状を、動植物を通して追いかける。
 
 4年前の拙著で私は「倒木は予想よりはるかに早く撤去された」と記した。それは瓦礫置き場として利用される予定地に限ったことで、そこではたしかに樹木が迅速に片づけられ、重機で整地された。
 
 だが、それ以外の海岸林はしばらくそのままになっていた。倒木の混み合った枝が重なる空間は、小型の鳥類にとっては好適なすみかとなった。
 マツがまとまって残った林では、オオタカやノスリ、あるいは海岸の岩場に巣をつくることが多いミサゴ(25)までもが、マツ類の樹上に営巣し、巣立ちして間もないハヤブサ(26)が、アブラゼミを捕えては食べていた。鳥類をみるかぎり、多くの種がマツ類の林を積極的にすみかとして利用していたといえる。
 

(25)アカマツの梢に営巣したミサゴ(岩沼市 2013年6月)

(26)アブラゼミを食べるハヤブサの幼鳥(宮城県山元町 2013年8月)

 人工的に植えられたマツ林が、決して本来の自然環境ではないことは先に述べた。だが、仙台平野が大規模に開拓された現在、本来は広く存在していたはずの林は失われ、いまや樹林は人家を囲む屋敷林(仙台平野では居久根=いぐねと呼ぶ)と海岸林、それにわずかな河川敷にしか残っていない。
 津波跡のマツ林は、鳥類にとっては本来の自然環境の代償地として、重要な役割を担うようになっていたのだ。
 
 今回は砂浜と海岸林で見てきたことを記した。一方、農地の跡には湧水によって多数の湿地ができ、そこがミズアオイなどの水草やミナミメダカ、そしてトンボ類の劇的な再生の舞台となっていた。そのことは次回にくわしく紹介したい。
 ただ、いずれの環境においてもこれらの繁栄は例外なく、わずかなうちに幕を閉じることになるのだが。(次回に続く)

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永幡嘉之

ながはた・よしゆき 1973年兵庫県西脇市生まれ。自然写真家。

山形県を拠点として、昆虫類を中心に動植物を調査する一方、絶滅危惧種の保全を継続的に実践。写真家としての主題は、ロシア極東地域と日本の里山を比較することにより、里山の歴史を読み解くこと。また、世界のブナ全種の森を歩き続け、動植物の調査を通して森の歴史を考え続ける。著書に巨大津波は生態系をどう変えたか』(講談社ブルーバックス)、『大津波のあとの生きものたち』(少年写真新聞社)、『原発事故で、生きものたちに何がおこったか。』(岩崎書店)など。

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